【鞘師里保】ハロプロ時代、エースと呼ばれてありがたかったし、がんばれた。でも……
2011年、12歳で「モーニング娘。」に加入し、その人気を牽引。そして、17歳だった2015年、人気絶頂の中、卒業した鞘師里保さん。アメリカ留学を経て、現在は歌手、女優としてますます活動の幅を広げる鞘師さんがVOCEに初登場。あの頃のこと、今のこと、そして、これからのことをロングインタビューでじっくり伺いました。全3回にわたってご紹介する今回は、“アイドル時代”にフォーカス! 【写真】いつもと違う! 大人鞘師さんをもっと見る
エースと呼ばれてありがたかった
──ハロプロ時代、楽しかったことはなんですか? 鞘師さん(以下鞘師)「もちろん、ライブです! 自分を解き放てる感じがたまらなく楽しかったですね。でも、自分でライブ映像を客観的に見ると、普段は自分を出さないくせにステージ上では思いっ切り弾けている姿に、“何やってんの~?”って恥ずかしくなっちゃうので、“ライブ映像を見るのが趣味”とかは、全然ないです(笑)」 ──逆に大変だったことはどんなことですか? 鞘師「日中は学校に通っていたので、睡眠時間が足りなくて体力的につらい日も……。あと“ここまでやり遂げたら、休もう”って思えるタイプではなかったので、休みの日でも何をしていても、“今日は何かやること忘れてないかな”とか、“何もしてないけど大丈夫かな”とか、いつも仕事のことを考えてしまっていたことは大変だったことかもしれません」 ──“エース”と呼ばれていましたが、どう思っていましたか? 鞘師「すごくありがたいことだなって。ただ、自分の調子が悪い時期は、みんなに迷惑をかけてしまうんじゃないかなってプレッシャーに感じることも。でも、エースと呼んでいただいていることは単純にうれしかったし、自分を向上させようとか、頑張れるエネルギーの源でした」
3年半ぶりの復帰ライブで本当の自分の気持ちに気づけた
──思い出深い曲を教えてください 鞘師「『One・Two・Three』です。この曲はリリースされてから、ずっとライブの定番曲。毎回、“今回はこうしよう、ああしよう”って試行錯誤して、少しでも進化させようとしていました。ライブに毎回来て下さるファンの方もいたので、“違うパフォーマンスを見せたい!”という気持ちが一番強かった曲です」 ──3年半ぶりにステージに立ったときの心境はいかがでしたか? 鞘師「最初は不安でいっぱいでした。辞めて3年半もたっていたので、“みんな私のことなんて忘れてるだろうな”とか、メンバーは私が辞めてからも頑張ってくれていたのに、急に『ゲスト』みたいな感じで出ていくなんて、なんだかエラそうだし、申し訳ない……とか、ちょっとネガティブな気持ちも。 でも、パワーアップしたメンバーと、気持ちをぶつけあって、また一緒にステージに立てたのは本当に楽しかったですし、“やっぱり自分はパフォーマンスすることが好き”っていう気持ちを再認識。自分に自信が持てなくて、モーニングを卒業する少し前から“ライブが楽しい”って思う気持ちを押し殺していたので、自分の“本当の気持ち”に気づくきっかけになりました」 ──地鳴りみたいな歓声は聞こえてましたか? 鞘師「イヤモニしていたので、はっきりは聞こえていなかったんですが、いつもより大きな歓声が聞こえて、ウェルカムな雰囲気だったので、ホッとしました。後からみんなに『歓声がすごかったよ』と言われて。本当にありがたくて、嬉しかったのですが、もしイヤモニをしていなくて、まるまる声援が聞こえていたら、逆に緊張してうまくできなかった気がします(笑)。緊張したけど、すごく楽しかったですね」