角野栄子さんから見た谷川俊太郎さんの言葉 「才気が突き刺さる」
「ことばあそびうた」(福音館書店)にある谷川俊太郎さんの詩「だって」を読むと、小学校に入るか入らないかのころを思い出すんです。小さいころ、自分をほめてほしくて自己主張をするときによく使った言葉なのね。 【写真】谷川俊太郎さんの詩を口ずさみ、思い出を語る角野栄子さん=2024年12月11日、神奈川県鎌倉市、伊藤宏樹撮影 ぶったって けったって いててのてって いったって たってたって つったってたって つったって ないてたって (「だって」より) 谷川さんのうまいところは一つのことから始まって、どんどん言葉が重なっていくでしょ。同じ言葉をちょっとずつ変えながら使って、どんどんエネルギーが増していく。それって、すごいなって思うの。小説だったら長い説明とか描写とかをずっと書いて初めてエネルギーが出てくるんだけど、谷川さんの詩は、音の響きとリズム感でそれができていくっていうのが面白い。 私の父は下町育ちの江戸っ子で、言葉がリズミカルでした。今思えばね、父の言葉は面白かった。落語とか浪花節、浄瑠璃、歌舞伎とかのエッセンスが父の言葉の中にあった。「オノマトペ」がいっぱいあった。 父と廊下ですれ違うと、私の鼻の頭に指を当てて「チコタンチコタン、プイプイチコタン」とか言ってどっか行っちゃう。「シンブンカンプンネコノクソ」って言うのが、子どもたちに新聞を門まで取りに行ってくれ、という合言葉でした。 ■ブラジルで聞こえた「オノマトペ」 1959年、24歳のころに自費移民として夫とブラジルに渡った。そしたらすべてがオノマトペのように聞こえたのね。言葉の意味はわからないけど、音のリズムや動きでなんとなく理解できちゃう。2年後に乗ったヨーロッパへ向かう帰りの船では、夜のご飯が済むとみんな甲板に出てフラメンコを踊った。誰かが「チャッチャッ」と手をたたいたら、「チャチャン」とバリエーションを加える人がいる。何人か集まると手拍子が形になって、まるでレース編みみたいにね。 言葉ってそういうのがとても大切だと思うのよ。戦争が起こったとき、真実だと思ったことは全部うそだったし、ベルリンの壁が壊れたときもある種の言葉は消えた。だけど人の波動みたいな言葉のリズムっていうのは、受け取る人にとってそれぞれの心の中に思い浮かべる風景になっていくと思うんです。 それが個人というもんだろうと思うの。個人によって違う風景を見ると思うけど、それが自由な受け取り方じゃないかと。意味を押しつけると不自由ですよね。 谷川さんの詩はいろいろある。谷川さんはね、才気がね、ちょっと突き刺さるんですよ。
朝日新聞社