「あれも伏線、これも伏線」ページを繰る手が止まらない…書評家・細谷正充イチオシのミステリーとは(レビュー)
相変わらず続くコロナ禍に加え、ロシアのウクライナ侵攻により、ますます先の見えない世界になった。だからこそ、日常を大切にしたい。そう、小説の好きな人は、いつものように本を読めばいいのである。ということで最近読んだ本を紹介していこう。 原田ひ香の『古本食堂』(角川春樹事務所)は、神田神保町を舞台にした、ふたりの女性の物語。ひとりは珊瑚。兄の滋郎が独身のまま急逝し、彼が営んでいた「鷹島古書店」を継ぐために、北海道から東京にやってきた。ただし長年暮らしていた北海道を後にしたのは、なにやら訳があるらしい。もうひとりは、滋郎や珊瑚の親戚の美希喜。古書店の近くにある大学の国文科の院生だ。珊瑚が古書店を引き継いでから、よくバイトをしている。ふたりとも本好きだが、古書については詳しくない。それでも古書店を中心に、人の輪が広がっていく。 古書店を舞台にしているが、それほど古本に淫した物語ではない。なにしろ取り上げられているのが、小林カツ代の『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』、本多勝一の『極限の民族』、橋口譲二の『十七歳の地図』といった具合だ。小説も出てくるが、珍本や稀覯本ではないのである。とはいえ、均一本で丸谷才一とクリスティが並んでいるのを見て、「でもきっと、丸谷才一先生はクリスティの隣にいることはそう嫌がらないだろう、と思えることだけが救いだった」という、本好きをニコニコさせる文章も随所にある。もちろん作者は、丸谷が大のミステリー・ファンであったことを踏まえているのだ。 さらに「ボンディ」のビーフカレー、「揚子江菜館」の上海式肉焼きそばなど、神保町の絶品グルメがストーリーを彩る。珊瑚や美希喜の食事も、読みどころとなっているのだ。個人的には、ビアレストランの「ランチョン」が登場したのに大喜び。私がこの業界の仕事を始めたころ、世話になった編集者に、よく奢ってもらった店なのである。 そして話が進むと、ふたりの心の奥が見えてくる。亡き滋郎にモヤモヤした気持ちを抱き、進むべき道に悩む美希喜。ある人物との関係に迷う珊瑚。滋郎の秘密も含めて、人々の心を優しく解きほぐしていく、作者の手際が鮮やかだ。いい話である。