かつての「弱小部署」から川崎重工社長になった男!少年時代に夢見たロボット作りを実現
ロボットを手掛けたいと川崎重工へ 先輩「東大を出て何でこんな部署に来たの?」
―――大学生の時に、将来、医療や介護に携わるようなロボットを作りたいと? 作りたいと思っていましたね。けれど就職で会社を調べても医療用ロボットをやっているところはなかったので、ロボットをやっているメーカーに就職したという感じです。実は、川崎重工は1969年に日本で初めて産業用ロボットを製品化した会社です。1962年にアメリカの「ユニメーション社」が世界で初めて産業用ロボットを作りまして、4年後の1966年にはもう日本に来て「こんなロボットどうですか?」と日本に紹介していました。 ―――とても早い時期に日本に売り込みに来たのですね。 その時はなんと700人も集まってすごい活況だったそうです。集まった日本のメーカーが「うちの会社にぜひ技術提供を」と激しいプレゼン競争を繰り広げたそうです。川崎重工の当時の役員は「これはぜひうちが取らないといけない案件だ」とアメリカのユニメーション社まで行って、熱く我々の技術を語って提携を勝ち取りました。 ―――当時のプレゼン力を評価してもらえて? そうですね、熱いプレゼン力が功を奏したのでしょうね。これは川崎重工の伝統の1つだと思います。そういった熱い思いが日本にロボットをもたらしてくれたということですね。 ―――橋本社長が川崎重工に入られた時は、ロボット事業は決して会社で花形事業部ではなかったですよね? 全然違いました。入社してビックリしたのは、ほかは事業部だとか事業本部だとかの名前が付いているのに、配属が「油圧機械事業部」と言われて。「あれ?ロボットじゃないの?」と不思議に思ったのを今でも覚えています。つまり当時は、油圧機械事業部の中の1つにロボット技術部という部署があって、その部が全てだったんです。だから入社した時は先輩方から「東大を出てなんでこんなところに来たの?」と言われましたよ。当時はまだ川崎重工は船だったりプラントだったり、車両や航空事業が花形でしたからね。