【コラム】「サッカーは何が起こるかわからない」。ドイツ移籍を分岐点に大きく飛躍を遂げた伊藤洋輝の真価はここから|日本代表
【日本代表・コラム】6月に開催されるキリンチャレンジカップ2022、キリンカップサッカー2022の日本代表メンバーに、2021年6月からドイツのVfBシュツットガルトでプレーする伊藤洋輝が初選出された。ジュビロ磐田から欧州に渡った男は、ドイツで何を見て、どんな成長をしてきたのか。日本代表でのプレーに大きな注目が集まる。
「これまでの自信は全て捨てていこうと思っている。何も考えずに行きます。失うものは何もないので」。 2021年6月24日。VfBシュトゥットガルトへの期限付き移籍に対する記者会見で、伊藤洋輝は初めての海外挑戦に向けてそう決意を語っていた。あれから約1年の時を経て、サックスブルーから世界に羽ばたいた男は、欧州トップレベルの一つでもあるブンデスリーガを舞台に、この1年間、良い意味でこちらの予想を裏切り続けてきた。 幼き頃から海外へチャレンジしたいという夢を抱き、大きな野心を言葉にできる度胸があった。周囲にどう思われようが、関係ない。実力で見返していけばいい。そんな彼のスタンスは、ドイツに渡ってからも一切変わっていなかった。 自身にとって初めての海外生活となった。チームメイトには同じ日本人のMF遠藤航が在籍していたが、移籍当初は遠藤が東京五輪の活動に参加していたため不在。孤独の中で始まったドイツでの日々には、なんとも言い表せない不安もあっただろう。それでも、今となっては「俺が喋れると思います?」と笑い返すほど言葉の壁など気にしていない。 そして、こうキッパリと言い切る。 「サッカーが1番評価されるところだし、そこで結果を残せばいい。チームメイトやファンから信頼を得られれば、そこまで大変じゃないですよ」。 この一年でのセンセーショナルな活躍は、何よりも伊藤自身がピッチ上で実力を示し続けてきた証だ。
「人生が変わった」
最初に提示されたオファーはセカンドチームでのスタート。それでも本人に迷いはなかった。一番下から這い上がっていく覚悟を決め、最初のキャンプを皮切りに実力を示し続けてきたからこそチャンスを得るまでに時間はかからなかった。 開幕前のDFBポカール(ドイツ杯)でいきなり先発に抜擢されると、第3節・SCフライブルク戦で途中出場からリーグデビュー。第7節のバイヤー・レヴァークーゼン戦ではリーグ初先発を飾った。シーズンを終わってみれば29試合に出場し、第7節以降は先発の座を死守。そして日本でも大きな話題を呼んだ今季ラストゲームのFCケルン戦では、チームを残留に導く決勝点を演出した。これで台本があるかのような”シンデレラストーリー”が出来上がったのだ。 本人もこの一年を「人生が変わったみたいなもの。サッカーは何が起こるかわからない」と語るほど、大きな分岐点となった。 しかし、シーズンを戦い抜いた充実感とは裏腹にこの一年で世界との差も痛感してきた。 「“サッカーが違う”というのは『こういうことだな』と身をもって感じたし、フィジカルの強い選手が集まっている。その中で組織もしっかりしているチームが強い。何が違うかと言われると、色々と違いすぎて・・・」 特にカタールワールドカップで対戦することが決まったドイツ代表のMFセルジュ・ニャブリとFWトーマス・ミュラーには衝撃を受けたと言う。 「ニャブリは身体能力とスピードがすば抜けているし、ミュラーはとにかく賢い。身体能力はヨーロッパの中でそこまで高くないけど、ポジショニングやプレスのかけ方がうまい」 世界トップレベルの猛者たちと毎週のようにしのぎを削り、世界のトップ・オブ・トップを肌で痛感してきたからこそ、この一年を充実感だけで終わらせてはいけないと強い決意を胸に秘める。 「まだまだここから」 先日、6月のキリンチャレンジカップ2022とキリンカップサッカー2022に臨む日本代表メンバーに初招集され、W杯出場への希望を自らの実力で手繰り寄せた。磐田でも、ドイツでも、実力をピッチで示して見返してきた男だ。このラストチャンスを掴むことができる“変わらないメンタリティー”を兼ね備えていることだろう。 どんな時でも変わらず示し続けてきた“伊藤洋輝”の姿を、日の丸の舞台で見せてくれることが楽しみでならない。 文・森亮太 1990年、静岡県出身。静岡県を拠点にフリーライターとして活動中。2018年からは、サッカー専門新聞「エルゴラッソ」にてジュビロ磐田、アスルクラロ沼津の番記者を担当している。