「日本人は100年後まで通用するものを作ってきた」...「失われた何十年」言説の不安がもたらした文化への影響とは?
「失われた何十年」言説
■「失われた何十年」言説■ ■田所 構図が大きくて大変面白い指摘です。マルクス主義は、欠点はたくさんありつつも、日本の知識人が世界を解釈する際の枠組みとして長らく機能していました。そういった大きな枠組みなりイデオロギーなりが無くなり、皆が小さな世界に内閉しがちになっています。 先ほど三浦さんが「エディターシップ」とおっしゃったけれども、社会を全体的に俯瞰して、演出して、そういう人たちにどうやってチャンスをつくり、創造力を発揮してもらうか、そういう新しく大きな枠組みや思想がないじゃないか、ということですね。 それほど勉強熱心な学生ではなくても、なんとなくマルクス主義を知っているのは、私の世代がおそらく最後です。大学の授業で、私は学生に「マルクス主義ではね、生産力とか生産関係というものがあってね」と、そこから説明しないとダメなんです。 そういうある種の無思想状態もしくは脱イデオロギー的状態になっていることをどう考えるべきなのか。今や30代の人ぐらいまでは、「失われている、失われている」と「失われた何十年」のなかで育っています。その人たちがこれからの日本の創造を担っていくわけですね。 ただ、僕はこの「失われた」という言い方がどうも気に入らない。「その前は失われていなくて、昔は良かった」という懐古趣味になってしまい、そういう総括のあり方でいいのかと疑問です。 ■片山 今日の座談会が、86年から話がスタートしているとすれば、それはまさにレーガン・中曽根、東西冷戦の緊張が緩み、ソ連ではゴルバチョフが出てきた時代です。そして、チェルノブイリ原発事故はまさに86年の春。サントリーホール開館は10月だから、原発事故で汚染された小麦が原料の、イタリアのパスタ類が入ってこなくなっている時期に開館したのでした。 共産主義国が脅威ではなくなり資本主義側が勝利する。ソ連はまだマルクス主義路線だけれど、ペレストロイカでうまくいくだろう、ソ連も中国も少なくとも変わっていくという幻想が80年代後半にはまだありました。 マルクス主義は克服しつつある敵だ。あるいは、資本主義の高度な発達のなかで、マルクス主義的な階級対立に代わる階級融和が展望された。皆がそれなりに豊かに暮らして余暇を持ち、その中で「演技する個人」となり、自己実現は幾らでもできる。「終わりなき日常」「永遠の中世」「高原社会」などと言って、豊かな社会の中で高度に安定するビジョンのあった時期です。 89年にベルリンの壁が崩壊して90年代に入り、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」となって、「右対左があって中道がある」といった構図を描きにくくなります。革新がなくなり、日本の政治も自民党みたいなもの2つで政権交代すればいいということで、朝日新聞も読売新聞も保守二大政党制の旗を振りました。 ところが、そういう理念としてのポストモダンは、少なくとも日本の場合はすぐに「失われた何十年」言説に取って代わられていきます。1985年のプラザ合意でバブルになり、それからバブルがはじけていく。あの「失われた何十年」というのは、バブルがはじけて何十年ということですよね。 ■田所 だいたい91~93年からの株価や物価の下落から数えますね。 ■片山 それで高度成長こそがデフォルト(既定事実)と思う人にはいつまでも「失われた何十年」が続くようになる。国際的に見れば2001年の9・11同時多発テロや2008年のリーマン・ショックがあり、テロとの戦いになって世界が無秩序化していくような状況になる。そしてアメリカも没落してくると、資本主義の繁栄に包まれている私たちはいつも新たな余裕を持ってさまざまな選択ができる、という状況が壊れてゆく。 余裕がある中でなら、保守二大政党でうまくゆく目もあろうけれど、切羽詰まってくると進む道は狭まって、政策論争の幅も出ない。そのときどっちも保守だなんて言ってたら、政党政治も終わります。 そして、三浦さんがお嘆きのように、国家、公共は、大局的な見地も、自由市場ではペイしない高度な文化やマイノリティを守る意識も持っていない。すっかり没落への不安に苛まれる時代です。うまくゆかないならそれに耐える哲学があればいいのだけれど、ないでしょう。それが拙い。
片山杜秀 + 三浦雅士 + 田所昌幸