「日本人は100年後まで通用するものを作ってきた」...「失われた何十年」言説の不安がもたらした文化への影響とは?
<クラッシック音楽もバレエも演じ手の水準が上がる中、ファンは高齢化して裾野はやせ細り、才能は「お金になる」分野に流出していく時代に──>【片山杜秀 + 三浦雅士 + 田所昌幸】
『アステイオン』創刊と同じ年に誕生したサントリーホール。1986年とはどのような時代背景だったのか。音楽評論家の片山杜秀・慶應義塾大学教授と舞踊研究者で文芸評論家の三浦雅士氏にアステイオン編集委員長の田所昌幸・国際大学特任教授が聞く。『アステイオン』100号より「1986年から振り返る──サントリーホールと『アステイオン』の時代」を転載。 【写真】「世界一美しい響き」を基本コンセプトに設計された、1986年開館のサントリーホール ◇ ◇ ◇ ■演じ手と共鳴層■ ■田所 ところで、大阪中之島にある大阪市中央公会堂は、大正7年竣工のまさに大正バブルの産物です。ひとりの大阪市民、岩本栄之助の寄附によって建てられますが、竣工時には彼は既にこの世にいなかった。 株式仲買人だった彼は相場で失敗して、39歳で短銃自殺したんです。それでも公会堂は残った。バブルの崩壊以降、いろんなものがじり貧状態になったけれど、造ったら残るものってやっぱりあるわけですよね。 そして、私が専門で見ている政治・経済などに比べると、日本の芸術は圧倒的に元気に見えます。ヨーロッパの名だたるところに日本のプリマがいてももはや驚かないし話題にもならないくらい、ごく当たり前に国際進出しています。日本のダンサーの水準は非常に上がったと思いますが、どうですか。 ■三浦 水準は上がっています。舞踊に関して言えばコレオグラファーなど作品をつくる人たちの能力も上がっているし、エネルギーも非常に高まっている。 日本人は、何かをつくる場合、後世のことまで考えています。せっかく井戸を掘るなら100年後にも通用するようなものにしなければ、と考える。それだけ心を込めてつくるのだからみんなに利用してもらいたいということで、基本的に手抜きはしません。 古くからある東京バレエ団にしても、1990年代から始まった熊川哲也のKバレエカンパニーにしても、また新国立劇場バレエ団にしても世界的に通用します。 ■片山 クラシック音楽の技量も、舞踊と同じです。オーケストラの腕前もソリストも水準が上がっている。何よりも価値観が豊かになっています。 以前は、誰々先生の弟子で、東京藝術大学の何とかでと、家元制度的で、この先生に師事していれば審査員は皆同系列だから音楽コンクールで1位になれる、みたいな世界でした。それが、グローバル化によって若いうちから海外で勉強する人が増えた。特定の先生につくのではなく、いろいろなところで多様なスタイルに学ぶ人も少なくない。 また、ネットで手に入る楽譜や演奏の音声や映像からどんどん消化して、家元的な教育とは全く違う学び方をした演奏家や作曲家が出てきている。 その結果、悪く言えば技術は高くても無個性化することもあるけれど、良く言うと、世界のさまざまなものに触れても器用貧乏にならずにスケールがどんどん大きくなる。そういう演奏家が、ヴァイオリンでもチェロでもピアノでもいるわけですね。 ■片山 とはいえ、残念ながら、「クラシック音楽のタレントが出てきたからどんどん応援してみんなで聴きに行こう」とはなっていません。「年を取って少しお金を持ったら教養としてクラシック音楽を聴かなくちゃ」というのもなくなった。 好きな人は演奏会に行くけれども、社会全体で「このピアニストすごい」「このヴァイオリニストすごい」「この指揮者すごい」とはどうしてもならない。 今でも反田恭平さんブームみたいなものは起きますが、例えば歌番組、芸能番組にクラシック音楽の人も出るとかいうことにはなかなかならない。 昔は友竹正則や立川清登のようなミュージカルとオペラの両刀遣いの人も居たわけですが。芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎、武満徹みたいな人が発言すると、「あの人がこう言っているから」と、音楽の世界を超えてアピールするという、かつてのようなことはないですよね。 中村紘子がコマーシャルに出て、小澤征爾を財界こぞって応援するなどの事態は遠い日の夢物語になった。音楽のパフォーマンスの中身はすばらしいけれども、そういう社会的な共鳴層が減って裾野がやせて、アンバランスになっている感じはします。 ■メディアの変化と文化への影響■ ■田所 クラシック音楽の演奏家は、子どものときから尋常でないトレーニングをします。そして、そのうちのごく優れた人、かつ運も良かった少数の人がようやくそれで食べていける世界です。 また、クラシック音楽全体をグローバルに見ても、好きな人が高齢化していてファンの再生産が難しくなっている。今、才能とやる気のある若い人たちが別の生き方を模索しているように思います。 ■片山 クラシック音楽の作曲家になって、「現代音楽で芥川也寸志サントリー作曲賞を取ろう」みたいな人は今でもいます。 しかし、昔の対位法や和声法のような音楽学校的なややこしい教育をすっ飛ばしても、テクノロジーの力で作りたいものを作れるようになっていますからね。実際、ゲーム音楽はクラシック音楽よりもお金になりますし。 昔ならシナリオライターや劇作家を目指したような人が、今はゲームの台本を書く方向に移ってしまっている気がします。才能のある人たちが文芸の領域に行かない。 以前なら映画やテレビドラマの脚本執筆、作曲、美術を目指したような人も、ゲーム産業などお金のあるほうにシフトしていると思うんです。昔はあれほどみんなが小説を書いていたのに、最近の芥川賞などを見ると、文芸作品を書く人たちはどこに行ったのかという感じです。 ■田所 多分ラノベを書いたり、漫画を描いたりしているのだろうと思いますね。 ■片山 そうでしょうね。戦後は日本の現代文学といったら綺羅星のごとく作家が並んでいました。文学にのめり込み、人間や社会を突き詰めて考えるようなモチベーションが下がっている時代ということかもしれません。それでもタレントはいつの時代も必ずいるので、別のところにシフトしているのでしょう。 ■三浦 一番大きい問題はメディアの変化ですよ。朝起きて最初にやることが、パソコンの前に座ってメールを確かめること。しかも、それが普通になったのは21世紀になってからです。そういった大変化にどう応えるか、どう動くかということが、今もまだわからない状況にあるということではないか。 暫定的にであれ座標を描いて、「ここにこういうことがある。ここにこういう人がいる」と位置づけてゆくようなエディターシップを発揮する存在がいなくなった、社会や世界を展望するような視点がなくなったわけです。 今、「昔は綺羅星のごとく作家が並んでいた」と片山さんが言われたけれど、その根源を探っていくとマルクス主義の存在が大きい。宗教なみに明瞭な未来像というか一種の予定表、一種の地図を提供していた。 詩人も作家も評論家も、批判するにしても見取り図があったほうが話は早い。誰もが座標軸を与えられ、自分がどこにいるかわかっていたつもりだった。各種の日本文学全集もそのノリで作られていた。 そういう、1950年代、60年代にはあった、マルクス主義の存立基盤が、社会主義の崩壊でなくなってしまった。1989年の天安門で何が起こったか。80年代末から90年代初頭にソ連で何が起こったか。そういったこと全部が関連するし、非常に興味深いことに、それはパソコンやスマホの普及とも陰の部分で連動しているということです。