水俣病巡るマイクオフ事件機に”政治解決”へ高まる期待…一方で政界の「導き手」不在を嘆く声も
「もし自分の娘なら」自民党のプリンスの決断
そうした大島をカネの面から支援したのが加藤紘一だ。自民党政調会長だった加藤は300億円という解決金を一般会計から投入した。国の責任が確定していないこの段階で一般会計に手をつけるのは異例の決断だった。この時のことを加藤はのちにこう振り返った。 「もし自分や自分の家内や娘がああいう状況に置かれたら自分はどう思うだろうと。経済成長が重要だというのはわかるけれども、水俣病問題というのはちょっとひどすぎるんじゃないかと」 そして時に官僚を叱りつけた。 「行政的に法律的に正しいとか正しくないとか、そんな技術的なことを言い続けていても仕方がない。現実に魚を食べて苦しんで青春を失った女の子もいれば、障害を持ったまま育っていった高校生もいる中で、そうした現実の姿に思いをいたすことができずに、ただ役人的な理屈を述べ、そしてそれを解決できない政治っていうのは、私はあまりきれいな状態ではないと思います」 山形が地元で、水俣病とはまったく縁がなかったという加藤だが、それだけに水俣病の惨状を知ったとき政治家としての力が試されていると感じたという。 その結果、初めての水俣病政治解決策は1995年12月に閣議了解された。
図解:水俣病政治解決と政権の流れ
三たびの政治問題化も、キーパーソンはどこに
そして今、水俣病に3度目の政治解決を求める風が吹き始めた。去年9月、大阪地裁は特措法の救済から外された128人全員を水俣病と認定した。その後に続く判決も、人数に差はあるものの特措法という2回目の政治解決から漏れた原告たちを救済した。国は特措法を見直さなくてよいのか? まさにこのタイミングで起きたのが「マイクオフ」事件だった。 しかし──大島理森、加藤紘一、園田博之。かつて水俣病問題の解決に心血を注いだ政治家はいなくなった。
キーパーソンの不在を嘆くのは、政治家自身も同じだ。マイクオフ事件からひと月後の6月、衆院環境委員会で実質的な水俣病問題の集中審議が行われた。 議論が集中したのが住民の健康調査だ。水俣/不知火海沿岸エリアに住む人たちがどれくらいメチル水銀にさらされたのか、これまで政府は調査を行っていない。そのため水俣病の被害者は何人なのかということすらわからないままになっている。第2の政治解決により制定された特措法は住民の調査の実施を国に義務づけたが、国は「調査の手法を開発中」として15年間手をつけていない。 この問題について私は20年前に熊本県が住民40万人以上を対象にした健康調査の案をまとめ環境省に提案したものの突き返されたという経緯を、当時の潮谷知事らの証言で告発した番組をマイクオフ事件の前日に放送した。 環境委員会では立憲民主党の野間健がこの番組を取り上げて「手法を開発中」と言い続ける国の真意を質した。しかし伊藤環境相は熊本県のかつて提案した手法には触れないまま、環境省が検討する手法に期待するという従来の答弁を繰り返しただけだった。野間は言う。 「以前の政治解決では一般会計から300億円も引っ張ったのに、なぜ今何もできないのか」 超党派の水俣病議連の会長を務める立憲民主党の西村智奈美も「キーパーソンの不在が大きい」と話す。 「水俣病問題に精通した議員が、特に熊本県選出の議員がいなくなってしまった。党派を超えて引っ張っていけるだけの政治家が今いない」 水俣病問題が大きく動くとき、必ず日本の政治そのものも大きく動くと冒頭に書いた。いま自民党政権は揺らいでいるが、はたして水俣病を動かせるキーパーソンは現れるのか。第三の政治解決が生まれるかはそこにかかっている。
編集後記
この記事を執筆していて、他界した方々の顔が思い出されてならなかった。患者連合の佐々木清登さん。御所浦島の村上正盛さん。不知火患者会の大石利生さん。皆「政治解決」に泣きながら判をついた人たちだ。私たちはその涙を「苦渋の選択」と報道した。政治解決の基本は妥協だという。なぜ被害を訴え続ける者が更に苦汁を舐めるのだろう。政治解決が繰り返されるのは、治療もせず白い包帯を巻いているだけだから。私にはそう思える。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です
取材:KKT熊本県民テレビ・東島大