朝ドラ『虎に翼』雲野六郎はなぜ「原爆裁判」に固執したのか? モデルになった弁護士が感じた“戦勝国を裁けない”悔しさ
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)らが担当する「原爆裁判」の準備手続きが終わろうかという時に、この裁判に全身全霊で取り組んでいた雲野六郎(演:塚地武雅)が急逝する。雲野の遺志を継いだ岩居(演:趙珉和)を支えるべく、山田よね(演:土居志央梨)、轟太一(演:戸塚純貴)が原告代理人側に加わり、いよいよ世紀の裁判が幕を開けた。なぜ国を相手取った難解な裁判を起こすに至ったのか、その理由を史実から考察する。 ■極東国際軍事裁判で実感した敗戦国の弱さ 作中に登場する雲野六郎は、実在した弁護士数人をモデルに作り上げられた人物と思われる。そのうちの1人が、海野普吉氏だ。戦前には河合栄治郎事件、横浜事件などを担当。これらの事件は名前を変えて作中にも少し登場していた。 そして、史実において原爆裁判に至る道の先頭に立っていたのが、もう1人のモデルと考えられる岡本尚一氏である。彼は昭和21年(1946)5月3日に開廷した極東国際軍事裁判において弁護側の1人として法廷に立っていた。 極東国際軍事裁判では、東条英機元内閣総理大臣ら28人がA級犯罪「平和に対する罪」、B級犯罪「通常の戦争犯罪」、C級犯罪「人道に対する罪」の容疑で裁判にかけられた。裁判中に病死した2人と、病によって免訴された1人を除いて25人が有罪判決を受け、7人が死刑、16人が終身禁固刑、残る2人が禁固刑7年と20年という判決を言い渡されている。 ヒロシマ平和メディアセンター「ヒロシマの空白 未完の裁き<1><2><3>」によると、岡本氏はこの極東国際軍事裁判を経験するなかで「悲惨な原爆投下の罪が戦争に勝ったからといって不問に付されることへの悔しさや怒り」を覚え、この責任を法廷で追及できないかと思い至ったという。 そして昭和28年(1953)、岡本氏は「原爆民訴或門」と題して冊子を作成した。その前文には、「戦勝国側の原爆投下という罪が何ら責任を問われないことに不公正さを感じた」ということ、そして「サンフランシスコ講和条約を結んだ後も、アメリカの指導者に期待していた原爆投下の悔恨の情が発露しなかったことへの落胆」が記されていた。同時に、本文において原爆投下はハーグ陸戦条約が禁止している無差別攻撃や「不必要な苦痛を与える兵器」にあたることから国際法違反であると論じている。 日本反核法律家協会が公開している資料によると、岡本氏は同年に広島と長崎の弁護士らに“共闘”を呼びかけたという。しかし彼と共に闘おうという弁護士は少なかった。そのうちの1人である松井康浩氏は、著書『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』で、「彼に心から共鳴する弁護士は少数であり、ともに行動する弁護士は私一人でもいいという状況であった」と述べている。 昭和30年(1955)4月25日、岡本氏が原告代理人となって、東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起した。そして、同年7月16日に準備手続きが開始された。じつに27回に及ぶ長い準備手続きの始まりだった。 第27回準備手続きが終了したのは、昭和34年(1959)11月19日のこと。第1回口頭弁論は翌昭和35年(1960)2月8日に行われた。しかし、残念ながら岡本氏は準備手続きが終わる前年、提訴から3年が経った昭和33年(1958)4月5日に志半ばで亡くなった。 岡本氏は歌集に次のような短歌を残している。「東京裁判の法廷にして想いなりし原爆民訴今練りに練る」、「夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり」、「朝に夕にも凝るわが想い人類はいまし生命滅ぶか」 自分の損得や利益ではなく、法的に救済されることなく風化していく原爆の被害と人々の無念を背負って国と対峙した岡本氏の想いは、法廷で原爆投下の罪を追及し、「広島長崎両市に対する原子爆弾の投下行為は、国際法に違反するものである」と明言する内容を含む判決文に繋がっていくのである。 <参考> ■清永 聡『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社) ■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
歴史人編集部