中国で奪われた“自由” 故郷捨て外国に逃れる若者が増加 一方で残る決断も…「自由の代償は監獄行き」
ほかの国の若者たちなら当たり前に享受できる権利を望み、訴えていた。しかし、張さんが着いてから約1時間が経過すると、最初は遠巻きに取り囲んでいた警察が、続々と参加者を拘束し始めた。恐怖を覚え、張さんもその場を離れた。 デモから1週間後、張さんの自宅を警察が訪れた。なぜ自宅まで割り出されたのか…。携帯電話の位置情報で特定されたと思った。応対した張さんの父親に、警察はこう言い放った。 「あなたの娘の思想はおかしい。厳重な監視が必要だ」 さらに、デモに参加した張さんの友人が半年間にわたり拘束され、今もフラッシュバックで不眠の状態が続いているという。こうして張さんは、国を捨てる決意を固めた。 「この国では無力感しか感じない。私だけでは今の現状は何も変えられなかった。中国に“自由”という言葉は存在しない」 こう語った彼女の目には、警察の監視を逃れた安心感と同時に、自分だけが逃げてきたという自責の念も浮かんでいるように感じられた。
■国を捨てる若者続々 「自由は自分で勝ち取るもの」
中国の体制下で仕事に行き詰まりを感じ、国を離れた若者もいる。 23年春、日本に移り住むことを決めた30代の王さん(仮名)。中国で映像制作に携わってきた。王さんによると、6年くらい前までは、映像制作の分野は比較的自由で、社会問題をテーマにした作品なども制作し、海外のコンペに出品できていたという。 空気が一変したのは18年。映像作品への中国当局の検閲が、突然、強化されたという。この年は、2期目の習近平政権が正式発足した時期と重なる。国家主席の任期を撤廃するなど、習氏の一強支配が急速に確立した時期だ。 それ以降、映像業界に限らず、芸術、学術などあらゆる分野で制限が、ますます厳しくなっていくのを感じたという。 「年々、創作の自由は奪われていく。怒りはもう通り越した。この業界でやっていく以上、何かを失う覚悟はできている」 そして王さんも、張さんと同じ言葉を口にした。母国を離れる彼の背中を押したのも「無力感」だったという。 「表現の自由に関しては、無力感を感じる。でも、中国で失われていく発言の場の代わりに、自分の作品が生かせるのなら。自分が、記録という形で中国の将来に生かせるのなら…」