街中で向けられるスマホ、浴びた罵声 インドネシアの熱狂…日本人選手が味わった“恐怖”【インタビュー】
「ストレスが溜まりすぎて、精神的に苦しかったです」
「和食屋はなくて(インドネシアはイスラム教のため)豚肉もない。ジャカルタは食べられるんですけど……。試合が終わって家に帰ると、(ソロでは)もうレストランはどこもやっていなくて、マクドナルドか24時間やっているお弁当屋さん、あとチェーン店のうどん屋さんが1つあるだけでした」 本拠地は代表戦でも使用されることもある約4万人収容のスタジアムで、毎試合のように満員になった。サッカーには集中できるが、大声援を受けたあとに、お弁当を買って1人で帰ってそれを食べる……。徐々に、その生活にストレスを感じるようになっていった。 「その町で一番いいと言われるマンションに住んでいたんですけど、シャワーはちょっとしか出なかったですね。もう『ここから早く抜け出したい……』としか思えなくて。半年も経てば、ストレスが溜まりすぎて、精神的に苦しかったです。ここから脱出するためにサッカーで結果を出すしかなかった」 この年、28試合に出場して11ゴール6アシストをマークした。この活躍をドイツ1部ボルシア・ドルトムントやハンブルガーSVなどを率いたドイツ人のトーマス・ドル監督に認められ、現在のプルシジャ・ジャカルタへとステップアップを果たすことができた 「本当に食事が大変だった。サッカーに集中出来かねないぐらいでした。その街にあったチェーン店のうどん屋さん、今、トラウマになってしまって食べられなくなっちゃったんです」 ジャカルタでは快適な生活を送れている。高級住宅街のマンション、運転手付きの車など待遇は良く、食事にも困らない。「鬱(うつ)になりかけていた自分から見たらドリームを掴んだな、と。トーマス・ドル監督が見つけてくれて本当に感謝しています」。インドネシアの前にプレーしていたタイでも地方クラブからのし上がった。自らの手でチャンスを手繰り寄せる強い気持ち。30歳になった松村の逞しさは増すばかりだ。 [プロフィール] 松村亮(まつむら・りょう)/1994年6月15日生まれ、京都府宇治市出身。ヴィッセル神戸のアカデミー出身で、プリンスリーグで大活躍し、2013年にトップ昇格。翌14年には現役引退した吉田孝行氏の背番号「17」を受け継いだ。栃木SC、徳島ヴォルティス、AC長野パルセイロと渡り歩いて、2019年にタイ2部ラヨーンFCへ加入。同チェンマイFC、同1部BGパトゥム・ユナイテッド、ポリス・テロでプレーして2022年はインドネシア1部ペルシス・ソロ。翌年に現在のプルシジャ・ジャカルタへ東南アジアでは“超異例”となる移籍金が発生した完全移籍を遂げた。
FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi