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友近「姉と作ったコントが原点。笑いの感覚の〈答え合わせ〉がしたかった」

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婦人公論.jp

現在発売中の『婦人公論』7月28日号で、表紙に登場しているお笑い芸人の友近さん。小さい頃からお笑いが大好きで、大阪のNSC(吉本総合芸能学院)へ行こうとしましたが、父親に反対されて――発売中の『婦人公論』から、インタビューを掲載します。(構成=大道絵里子 撮影=大河内禎) 【写真】「あの時のお客さんの笑い声、いまだに忘れられない」 * * * * * * * ◆ライブは直接喜びを肌で感じる仕事 今、イベンターが主催し、私がプロデュースするライブを年間50本、多い時は100本ほど開催しています。最近は新型コロナウイルスの影響で開催できていませんが、とにかくお客さんの前に立って直接喜びを肌で感じる仕事が好きなんです。 ただライブって簡単にできるものではありません。それを成立させてくださるスタッフさんや共演者の方のサポートがないと到底成り立ちません。今、2つの大きな全国ライブツアーを毎年やらせてもらっています。 1つは友近コントライブ。これには先輩後輩関係なく、とにかくオモロイことを表現したいと共感してくださる人が集まってくれています。バッファロー吾郎Aさん、ずんの飯尾(和樹)さん、ロバートの秋山(竜次)さん、シソンヌのじろうくん、ハリセンボンの近藤春菜ちゃん、渡辺直美ちゃん、ゆりやんレトリィバァちゃんなどクリエイティブな芸人さんたちです。 もう1つのライブは芸能生活50年の演歌歌手、水谷千重子として行っている「キーポンシャイニング歌謡祭」です。演歌の大御所の方やさまざまなアーティストの方のご協力のおかげで、毎年3000人規模のホールでツアーをやらせてもらっています。

◆「ワケありの女」に憧れて 私が芸人になりたいと思った原点は、自分の笑いの感覚をめぐる「答え合わせ」がしたかったことだと思うんです。テレビを見ていて面白いと思った芸人さんに私を認めてもらいたい、その思いに引っ張られるようにして、今いる場所にたどり着いた気がします。 小さい頃からお笑いが大好きでした。小学生の頃はちょうど漫才ブーム。たくさんやっていたお笑い番組を見ながら「いつかこの中に入りたい」と漠然と思っていたことを覚えています。 ただ、当時の私はものすごく無口で、そんなことを思っているとは誰も想像できなかったと思います。表面的にはおとなしいけど、心の内では周りの大人や同級生をじ~っと観察して、その人の笑いの価値観が自分のと同じかどうかを勝手に見極めて、一人で納得しているような変な子でした。でも、それを口に出して伝えることもしないから「何を考えてるんやろ」と親は心配していたそうです。 唯一、姉の前でだけは自分のひょうきんな部分をさらけ出していました。姉とはすごく仲がよくて、二人でよくやっていたのが即興コント。最初は皿洗いのお手伝いを並んでやりながら、花登筺(はなとこばこ)が書くドラマに出てくるような上方喜劇の「ごりょんさん」と「女中」になりきって遊んでいましたが、高校生の頃には姉に導かれて、オリジナルの設定になっていきました。 「あ~んた若いのにエライねぇ。冬でもつ~めたい水に手ぇつっこんでさぁ」と架空の方言で姉がしゃべり出すと、「大丈夫です。冷たい水には慣れてますから」と、私が小声で調子を合わせる。 これは、私が「流れ流れてたどり着いた水産工場で本名を隠して働く女」で、姉は「昔からそこで働いている地元のおばちゃん」。この設定は定番でした。姉はとにかくお笑いが好きで、いまだに姉にだけはネタの相談もするんですよ。だから、特殊な姉妹ですよね。 私は私で、中高生の頃は学校帰りに制服のまま、こう、目の焦点をぼんやりさせて一人でフラ~ッと盛り場を歩くという遊びをやっていました。大好きだった大映ドラマや2時間ドラマの影響なのか、「ワケありの女」に憧れて、すれ違う人から「この子なにか大変なことがあったのかな?」と思われたかったんです。 実際はごく普通の家庭に育って、何の「ワケ」があるわけでもないんですよ。でも自分の人生だけじゃ物足りなくて、いろんな人になりきりたかった。ちょっとヤバい奴ですね。(笑)

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