「ずっと基本を言われていた」OB本田泰人が語る古沼貞雄の教え、帝京の原点。“天才”礒貝洋光との思い出も
名将の目の前でゴールを決めまくる
高校サッカー選手権の開幕戦に東京都代表として出場するのが、黄色のユニホームが印象的な名門・帝京だ。 【動画】全国高校サッカー選手権大会 東京都A大会決勝 帝京vs國學院久我山ダイジェスト 戦後最多タイの6回の選手権優勝を誇り、高校総体と合わせて9回の日本一に輝く。黄色いユニホームの胸のワッペンには、全国制覇の証しである9個の星が並ぶ。 しかし、選手権本大会への出場は実に15年ぶりだ。 そんな母校の出場をOB会長として喜んだのは、鹿島アントラーズのレジェンド、本田泰人氏だ。 「OB会長としてはもちろん、個人としてもこの日をずっと心待ちにしていました。15年は長かったですが、開幕戦ではあの国立のピッチに立ってプレーできる。悔いのないよう、ぜひ精一杯プレーしてサッカーを楽しんでほしいですね」 本田氏自身、選手権の優勝経験はない。しかし、高校サッカーの3年間はかけがえのないものだと振り返る。 「僕の時代の帝京は、トップ選手ばかりが集まるまさにタレント集団だった。中学の頃から、あの黄色いユニホームを着てプレーしたいと思っていましたね」 中学時代は、地元・北九州の響南中学サッカー部でプレー。転機は中学の全国大会時、帝京高校の古沼貞雄監督が観戦に来ると、父親みずから「息子の泰人を見てほしい」と直談判。その日、父親の期待に応え、3ゴールを決めた。翌日の試合も古沼監督は視察に訪れたが、その試合でも2ゴールを決める活躍を見せると、その場で帝京への入部が決まったという。 「古沼先生は対戦相手の選手をスカウティングに来ていたそうですが、親父が売り込んでいたのは、あとから聞きました。ゴールを決めないと、いつも親父からボコボコにされるんですよ。今の時代はNGですが、完全に暴力事件です(苦笑)。俺はとにかくボコられたくない一心で、ゴールを決めまくっただけなんですけどね」 ちなみに中3の全国大会決勝では、帝京でチームメイトとなる礒貝洋光と対戦し、逆転負けを喫している。 その礒貝は、中1の頃から帝京入学が決まっていた。 「だから、洋光から『泰人も帝京に行こうぜ』と誘われていた。もし帝京高校に入部しなかったら、国見に入学していたと思いますね」 その後、高校への入学を待たずして、1月から帝京サッカー部の練習に参加。そこで改めて天才の凄さを知る。 「実際に一緒にプレーして『なんだこの選手はと、びっくりしました。サッカー以外はちょっとやんちゃな面をのぞかせていましたが、類稀なるテクニックと豊富なアイデア。もう別格の存在でしたね」 特に抜けていた才能が、危機察知能力だ。いつどこかで何をすべきか――。その判断力に礒貝は長けていたという。 「走りの多い練習の日は決まって、洋光がいない。怪我したとかなんとか言って。ピッチ内外で危機察知能力を発揮していましたね」 3年生になった本田のチームは、礒貝だけでなく、同じ学年には森山泰行、飯島寿久、1つ下には遠藤昌浩、池田伸康など、のちにプロの世界で活躍する選手が名を連ねた。
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