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「ランボー ラスト・ブラッド」への道(5)アメリカの戦争とランボー

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キネマ旬報WEB

6月26日(金)より公開されるシルヴェスター・スタローン主演最新作「ランボー ラスト・ブラッド」の連続企画。第5回となる最終回は、ランボーの世界を掘り下げるエッセイその3。 80年代に大ヒットシリーズとなり、 年代の長い沈黙を経て、 世紀に再び動き出したランボー。それぞれの作品は、アメリカが当時繰り広げていた戦争とどのような関係にあったのか? 時代によって生み出され、翻弄されるヒーローの姿が見えてくる。

アメリカが戦争してない時代の映画

「アメリカの戦争とランボー」というのが今日あたえられた「お題」ですが、実はこれ、意外に面倒くさい――なんて言ったら叱られますけれど、「ランボー」シリーズの最初の三部作は、実はアメリカ合衆国が戦争をやってない時代の映画なんですね。 第二次世界大戦後のアメリカは一貫して海外で戦争をやってきました。大戦が40年代半ばに終結し、50年代は朝鮮戦争、60年代から70年代はヴェトナム戦争。そして90年代は旧ユーゴ紛争とソマリア介入など「グローバル世界の警察官」としての戦争。ところが80年代だけはぽっかり穴が空いている。そしてこの時期に「ランボー」の最初の3作は製作されているわけです。 念のために映画を振り返っておきましょう。 まず第1作の「ランボー」。ヴェトナム戦争でトラウマを背負い、故国での白眼視に耐えかねた若者が暴れるという“帰還兵残酷物語”です。いま見ると描写ではなく科白ですべて説明していて、 あの時代を知らなければわかりやすくて教訓的な映画に見えるだろうなあと思える仕上がりです。 スタローンも素朴で野暮ったくて、「狼よさらば」 (72)のチャールズ・ブロンソンなんかよりずっと未熟な、可哀想な若者に見える。そういえば当時のアメリカでの映画評に「まるで悩めるボーイスカウトのようだ」というのがあったのを覚えています。 次が「ランボー/怒りの脱出」。これがいわゆる「筋骨隆々」のランボー像を確立した作品で、実際、映画の大半を半裸で過ごします。ヴェトナム軍の描き方は相変わらずの「顔のないオリエンタル」ですが、ランボー本人の見た目だけはぐっと洗練されてもいる。でも考えてみるとランボーは特殊部隊員でしょ? ジャングル戦の兵隊は余計な傷を防いでちゃんと装備してるものなんだけど、なぜかランボーはずっと裸なんですよね。 で、その次が「ランボー3/怒りのアフガン」。 アフガンのムジャヒディーン(聖戦士)を助けてソ連軍と戦う話。後年、「9・11」テロ後に「ビンラディンはランボーが育てた」というジョークが飛び交ったのはこの映画の“遺産”ですね。またここでもランボーは前作以上に裸のまま。 ここまでが初期の三部作で、これで「ランボー」シリーズは事実上完結しました。 その次の4作目「ランボー/最後の戦場」になると年の空白がある上に、ジョン・ランボー「心の父」トラウトマン大佐が出てこない。大佐役のリチャード・クレンナが亡くなっちゃったから仕方ないんですが、これはランボーの生涯にとってまさに宿命的な変化ですよね。 しかもその間にアメリカの戦争は大きく変化し、 ランボーにも戦う動機がなくなってゆく。もともと彼は「戦いたくないのに戦わざるを得なくなった男」ですから、明確な動機や根拠がないまま偶然のきっかけで暴れるのは苦しい。ですから4作目以降の「ランボー」はどうしても不明瞭になってしまう。 というわけなので、最初の三作と、「最後の戦場」や今回日本公開される「ランボー ラスト・ブラッド」の二作はやはり分けたほうがいい。そこで最初の三部作を本体、あとの二作をスピンオフの一種と見て「お題」を考えてみたいと思います。

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