迫田さおりさんが狩野舞子さんに引かれる理由 「年下でも姉のような存在」
◆バレーボール女子元日本代表・迫田さおりさんコラム「心の旅」
好きな言葉は「心(こころ)」だという。バレーボール女子元日本代表のアタッカー、迫田さおりさんは華麗なバックアタックを武器に2012年ロンドン五輪で銅メダル獲得に貢献した。現役引退後は解説者などで活躍の場を広げながら、スポーツの魅力を発信しようと自身の思いをつづっている。 ■青空をバックにポーズ 迫田さおりさんと狩野舞子さん【写真】 ■「舞子はオープンマインド」 ずっと「世界」が違う人だと感じていました。1学年下の狩野舞子さんです。中学3年で日本代表候補に選ばれた彼女はレシーブも器用にこなす万能選手として活躍し、2012年ロンドン五輪では一緒に「日の丸」を背負いました。度重なるけがを乗り越えて、海外でもプレーしました。性格は明朗快活です。自分をさらけ出すのが苦手な私と違い、他競技の選手にもとけ込む姿をうらやましく見つめていました。 お互いに現役を退いた今では、プライベートでゴルフを楽しんだりする間柄です。懇意になったきっかけは19年のワールドカップの解説です。仕事で一緒になる時間が自然と長くなりました。ここからは普段通り「舞子」と呼ばせてください。舞子はオープンマインドなので、取材でも選手の心に飛び込める。「伝える」準備も決して怠りません。「私、声が低いから、もう少し高くした方がいいかな」と声量を調整し、短いワードで端的に伝える工夫を重ねていました。 17年に現役を退いた私は解説でプレーを「伝える」ことに不安や迷いを抱えていました。私の1年後にユニホームを脱ぎ、仕事上は「ライバル」だった舞子も同様だったと思います。それでも私を気遣ってくれました。放送では事前に準備した分だけ、いっぱい伝えたかったはずなのに、2人で解説をさせてもらった時など、私がしゃべりやすい空気をつくり、引き立て役まで演じてくれました。 そんな彼女と接し、最近では自分の世界の中で現状のままでいるのもつまらないと感じるようになりました。感覚的に例えるなら「ほんの数センチ浮く」ぐらいがちょうど良くて、その位置に私をひょいと持ち上げてくれるのが舞子です。軽妙な語り口で、いじってくることも少なくありません。 ■ゴルフにも表れる人柄 2年前に私が膝を手術した時は真っ先に連絡をくれました。退院後には「動けないから、大変でしょ」と簡単に食べられるものを自宅に郵送してくれました。私だったら「今連絡したら、逆に迷惑では…」と尻込みしてしまいます。ためらわずに、心地よい距離感を保ってくれる存在です。 話す機会が増えるごとに、ゆっくりと「狩野舞子」という人間が見え始めた気がします。ハッピーでいるためにこつこつと汗を流すことをいとわない一方で、自分を冷静かつ客観的に見つめられる内面の強さをふと感じるときもあります。 人柄はゴルフにも表れています。ラウンド中の立ち居振る舞いはスマートです。スイングはきれいですし、初心者の私にも「リオさん(迫田さんの愛称)、今のでいいよ」とか「もうちょっとこうしてみたら」と的確な助言をくれます。身長に合うサイズが少ないウエアやクラブも譲ってもらいました。年下でも姉のような気持ちで接してくれるからこそ、飾ることなく自然体でいられます。 寛容さの中に、どこか心に秘めたものも持ち合わせている。時に強く、時に優しく、姿を水のように自在に変えられる人―。そんな彼女の魅力に今後も触れながら、年を重ねていきたい。新涼の秋の夜長、思いつくままつづってみました。(バレーボール女子元日本代表、スポーツビズ所属) ◇迫田さおり さこだ・さおり、1987年12月18日生まれ。鹿児島市出身。小学3年でバレーボールを始め、鹿児島西高(現明桜館高)から2006年に東レアローズ入団。10年日本代表入り。跳躍力を生かしたバックアタックを武器に12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪出場。ロンドン五輪では銅メダルを獲得。17年現役引退。身長176センチ。 【#OTTOバレー情報】
西日本新聞社