東京都港区の水道水で作る日本酒メーカーの杜氏は酒蔵の概念を変える革命児だった
東京23区唯一の酒蔵「東京港醸造」。 日本酒造りといえば郊外の広大な土地にある酒蔵をイメージしますが、東京港醸造が居を構えるのはオフィス街として知られる港区芝の路地裏。 もともとは取締役会長・斎藤俊一さんの父が住んでいた4階建てビルを改装した醸造施設で、約171平方メートルという狭小なスペースで日本酒「江戸開城」ブランドを中心に、あまざけやリキュールなどを造っています。 「東京港醸造」が型破りなのは、それだけではありません。 日本酒造りに欠かせない仕込みのお水が、井戸水や湧き水ではなく、東京の水道水を使用しているのです。 常識を打ち破る日本酒造りを実践しているのは、代表取締役で杜氏の寺澤善実さん。
大手酒造メーカーで長年務めた後、斎藤さんの誘いで2009年に東京港醸造に転職。日本酒造りの全工程から、醸造施設の設計、醸造機材の開発までを一手に担っています。 寺澤さんに、これまでのキャリアを振り返ってもらいながら、どのように現在のスタイルへ到達したのか伺いました。
日本酒造りをオートメーション化する端境期に大手酒造メーカー入社
──キャリアのスタートは京都・伏見の大手酒造メーカーだったんですよね。 寺澤さん(以下、敬称略):はい。高校を卒業して新卒で入りました。中学生の頃から化学などが好きで、高校時代は微生物関係の勉強をしていたんです。それで高校卒業後は、お酒関係か、味噌、醤油などの発酵食品に携わる仕事に就きたいと考えるようになりました。 ──小さい頃から食品製造に興味があったんですか? 寺澤:実家が農業をやっていたんです。学校から帰ったら稲刈りの手伝いをしていましたし、ほかにもキャベツやタバコの葉も栽培していて、親の背中を見て育つうちに、自然と興味を持ち始めました。
──高校生で大手酒造メーカーを志望するのは珍しいんじゃないですか。 寺澤:明確にお酒造りをしたかったわけではないんです。ちょっと自分が変わっていたのは、通常だと就職なり進学するときって進路相談の中でやるでしょう。でも私はひねくれていたので、学校から求人情報を持って帰って、自分でめぼしい会社を探して付箋を付けていったんです。その後、進路指導の先生に間に入ってもらって、人事課の方にお会いしました。面接は私一人だと不審がられるので、親父にも来てもらっていましたけどね。それでたどり着いたのが伏見の大手酒造メーカーでした。 ──大手酒造メーカーで働いた期間はどれぐらいですか。 寺澤:伏見で20年間。その後、港区のお台場に醸造所ができるんですけど、そこに10年間いたので、丸30年間働いていました。