真っ赤に焼けた火石が直撃し、即死…浅間山が「大噴火」したときに起きた「おぞましい出来事」
荒れ狂う山
〈山はその晩から翌朝にかけて、ますます荒れ狂ったので、人々はついに家・家財をすてて逃げだしたが、まず二十四、五歳の男が、真っ赤に焼けた火石の直撃を受けて即死、人々の心はますます浮き足立った〉 【写真】おぞましい…天明の浅間山大噴火を生々しく描いた絵 これは、学習院大学名誉教授で近世史の研究者である大石慎三郎氏による『天明の浅間山大噴火』からの引用です。同書は、天明3(1783)年に淺間山でおきた大噴火の様子を生々しく伝える一冊です。 日本には、富士山、阿蘇山、御嶽山など、さまざまな火山が存在しています。こうした火山は、温泉など天然の恵みを私たちに与えてくれるのと同時に、地震や噴火といった災害をももたらします。 火山大国である日本では、つねに地震や噴火への備えが必要とされるわけですが、実際に火山が噴火したときになにが起きるのかについて、私たちは、なかなかリアリティを持つことができないのも事実です。 そこで注目したいのが、長野県と群馬県の境にある浅間山です。 浅間山は現在、活火山として、「噴火警戒レベル1」が設定されています。2022年9月には直下で火山性地震が観測され、気象庁が注意を呼びかけるという事態にもなっています。 と同時に、この山は、何度も噴火を繰り返してきた火山としても知られています。重要なのは、過去、浅間山が大爆発したときになにが起きたのかについて、かなり詳しい記録が残されているということです。 火山の脅威が荒々しく牙を剥いたとき、いったいなにが起きるのか――。現代の私たちにもそうした「リアル」をわかりやすく教えてくれるが、本書なのです。
「言語に絶す」
同書によれば、一連の「天明の大噴火」が始まったのは旧暦の4月の上旬。このとき中規模の噴火が起き、45日ほどの休止を経て、同5月下旬には2回目の爆発がありました。周囲には火山灰が降り積もり、馬に草をやるのにも苦労したという記録が残されています。 そして、6月18日には3回目の爆発が起きました。 やがて噴火の勢いは増していきます。浅間の北側にあった無量院という寺の住職は、 〈「二十八日には昼すぎになって近辺に砂が降り、同日の十二時ごろになって大爆発があり、大地がしきりに鳴動した。火口からの黒煙は以前より強くなり、山の中から赤い雷がしきりに走り出た。人々は身の毛もよだつほどで、見る者はおそろしさのあまりひや汗を流し、気絶せんばかりであった」〉(同書45頁) と書き残しています。 さらに旧暦7月6~8日にかけて最後の爆発が起きますが、この3日間の被害は、「言語に絶す」ものだったとされます。 まず6日の夜から7日にかけては、火口から灼熱した大小の溶岩流が浅間北側の火口壁を越えて流出し、地表を覆ったそうです。前出の住職の手記には、 〈「七日、鳴音前日より百倍きびしく、地動くこと千倍也。これにより老若男女飲み食をわすれ、立たり居たり、身の置所なく、浅間の方ばかりながめ居り候ところ、山より熱湯湧出しおし下し、南木の御林見るうちに皆燃え尽くす」〉 といった状況がつづられています。犬や鹿といった野生動物が「燃死」したともあります。