「野球を学び、野球から学ぶ」優勝を目指す法大野球部の新体制
大学側から提示された「監督に求められる資質」
昨年、法政大学当局から「野球部新監督人事」の依頼を受け、法大野球部OB会「法友野球倶楽部」では、理事会において審議を重ねた。 大学側から新指揮官にふさわしい人物として提示されたのは「監督に求められる資質」だった。同倶楽部では加藤重雄氏を監督、大島公一氏を助監督に推薦。その後、大学内での審議を経て、正式に任命される運びとなった。 1月1日付で就任も、スケジュール変更を余儀なくされた。新型コロナウイルスの感染拡大により同8日、1都3県に緊急事態宣言が出た。法大の活動拠点は対象地域の神奈川県川崎市内。本来は7日から新年始動する予定も、大学施設を使用できず、15日からスタート。とはいえ、全体練習とはいかず、時間別でいくつかのグループに分かれ、感染予防対策を徹底しながら、汗を流している。 同21日、加藤監督と大島助監督は報道陣の取材にオンラインで応じている。 加藤監督は鳥取西高で2年夏、投手兼外野手(三番)として甲子園出場。法大では3年時からベンチ入りした。1学年上は「花の49年組」。江川卓(元巨人)らの黄金世代が77年秋、4季連続完全優勝を達成した。偉大な先輩たちが卒業後、加藤氏は左腕エースとして春5勝、秋4勝を挙げた。日米大学選手権にも出場。卒業後は社会人・日本生命で7年プレーし、85年の都市対抗優勝に貢献。現役引退後は社業に専念。14年7月から投手コーチとして、仕事が休日の週末限定で指導を手伝ってきた。 大島助監督は法政二高で2年春の甲子園出場。法大では右打者からスイッチヒッターに転向し、猛練習を積んだ。3年春から二塁手として3季連続ベストナインで、主将の4年春は部史上3度目の4連覇に貢献。しかし、リーグ初の5連覇を狙った同秋は5位に沈んだ。 「チャレンジできただけに、悔しい思いしかない。忘れ物があった。(助監督として)再び挑戦できることに、燃えるものがある」 法大卒業後は日本生命でプレーし、92年のバルセロナ五輪では銅メダルを獲得。93年ドラフト5位で近鉄入りし、オリックス、楽天で活躍し、ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞3度受賞している。現役引退後はオリックスの打撃・守備コーチを歴任。15年限りで退団後は筑波大大学院で学び、体育学専攻博士前期課程修了。19年には社会人・イートファクトリーの監督に就任し、アマチュア野球の現場でも指導キャリアを重ねてきた。