「アテネを目指すのをやめようかと思った」元ソフトボール日本代表監督・宇津木妙子が2度のオリンピックで感じた苦悩
ただ、オリンピックでメダルを獲ったことで、ソフトボールをやっていない人からも「感動をありがとう」という言葉をたくさんもらうことができました。私は現役時代から「ソフトボールをメジャーにしたい。もっと認めてられる競技にしたい」という思いを強く持っていたので、その点では貢献できたのかなと感じています。 PROFILE 宇津木妙子さん うつぎ・たえこ。1953年、埼玉県で生まれる。1972年に日本リーグ1部のユニチカ垂井に入団後、日本代表選手として世界選手権に出場。1985年に現役を引退。ジュニア日本代表コーチを経て、実業団チーム・日立高崎の監督に就任し、1部リーグ優勝チームへと育てる。その後、日本代表監督に抜擢され、2000年のシドニー五輪では銀メダル、2004年アテネ五輪で銅メダルを獲得。2004年には、日本人では初めて国際ソフトボール連盟に指導者として殿堂入りを果たす。現在もソフトボール界の普及活動に尽力している。 取材・文/佐藤有香 写真提供/宇津木妙子
佐藤有香