中日・立浪監督が打ち破れなかった「ミスタードラゴンズ」のジンクス…星野仙一、落合博満との奇妙な共通点
立浪の後にミスタードラゴンズを名乗れる選手は…
高木さんは2度の監督経験があるなかで、92年から95年までは6位、2位、2位、5位、2012年と13年は2位、4位と、2位の3回が、高木さんが監督のときの最高順位だった。 そして立浪である。2022年から24年まで3年連続最下位とやはり結果を残していない。「ミスタードラゴンズ」と言われていたからこそ、優勝を果たしてドラゴンズファンを喜ばせてほしかったが、残念ながら夢半ばで終わってしまった感が強い。 西沢さん、高木さん、立浪の3人は、現役時代は優勝を経験している。もっと言えば、西沢さんと立浪は日本一も味わった。選手時代に栄光をつかんできただけに、監督になってからも同じように勝利に導いてくれるだろうと、多くのドラゴンズファンは考えたに違いないが、現実はそんなに甘くはなかった。 本来、「ミスタードラゴンズ」と呼ばれるほどの存在なのだから、多くのドラゴンズファンから尊敬の念で見られなくてはならないはずである。にもかかわらず、監督としてうまくいかず、「辞めろ」コールが起きてしまった瞬間、名声を地に堕とすことになってしまった。ただ、このまま立浪の野球人としてのキャリアが終わりを迎えてしまうのは、あまりにもったいない。 西沢さん、高木さんは鬼籍に入られている。今のドラゴンズを見ている限り、立浪の後にミスタードラゴンズを名乗れる選手が出てくるのかと問われれば、それはないと言い切れる。現役生活20年以上もチームに貢献し続けてきて、優勝に導ける選手など、そうそう出てくるものではない。それだけに立浪は捲土重来するのを心待ちにするファンだって、今も多くいるに違いない。
---------- 江本孟紀(えもと たけのり) 1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、71年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、76年阪神タイガースに移籍し、81年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。92年参議院議員初当選。2001年1月参議院初代内閣委員長就任。2期12年務め、04年参議院議員離職。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。アメリカ独立リーグ初の日本人チーム・サムライベアーズ副コミッショナー・総監督、クラブチーム・京都ファイアーバーズを立ち上げ総監督、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選出場など球界の底辺拡大・発展に努めてきた。 ----------
江本孟紀