原発事故と、コロナを重ね―― 自主避難の女性、国らの責任問う裁判に挑む 名古屋地
新型コロナ感染拡大を防ぐため、各地に“緊急事態宣言”が出されています。 10年前、別の“緊急事態宣言”に直面した女性は、当時と今を重ね、何を思うのでしょうか――。
「10年たっても思い起こしたら、こうして涙が出てくるんです」 (岡本早苗さん) 名古屋市に住む岡本早苗さん(42)。5人の子どもの母親です。 去年の春、“緊急事態宣言”によって名古屋の街からも人が消えたとき、早苗さんは10年前の記憶を重ねていました。 「福島のあの時を見ているみたいという感覚。フラッシュバックが起こるぐらい、あの時の感覚とすごく似ていて、緊急事態はこういうことなんだよねと。私は知っていたからこそ、そうだなと思ったんですけど」(早苗さん)
10年前の、2011年。東日本大震災後の原発事故で、「原子力緊急事態宣言」が出されました。 当時、早苗さん一家が暮らしていたのは、原発から約60キロの福島県伊達市。 避難指示のエリアではありませんでしたが、子どもたちへの影響を恐れ、名古屋へ自主避難しました。 しかし、“自主避難”の早苗さん一家は、行政から十分に支援を受けることができず、不安定な日々が続いたそうです。
震災の日、末っ子の龍樹くんは、早苗さんのおなかの中にいました。 6年前に初めて甲状腺のエコー検査を受けましたが、避難した今も「甲状腺がん」への不安はつきまといます。 「この先たぶん一生、検査を受け続けると思うんですけど。健康被害が 一番心配ですかね、子どもの」(早苗さん)
これまでの間、早苗さんが闘い続けている相手がいます。 国と東京電力に対し、必要な対策をとらなかったとして裁判を起こしたのです。 しかし、2019年の一審では国の責任が認められませんでした。
さらに、裁判中の2016年には、早苗さんは乳がんを発症。 摘出手術と抗がん剤治療を受けました。
去年の春には… 「お母さんががんを再発して、入院するときにみんなで(鶴を)折って」(長女・梨佐さん) 「全然気づかなかった。これ作っているのは」(早苗さん) 「(お母さん)家にいたのに」(長女・梨佐さん) 「全然気づかなくて」(早苗さん) 恐れていたがんの再発。鶴は早苗さんに内緒で子どもたちが1週間ほどで折ったそうです。 がんのことを子どもにもすべて話し、治療に向きあいました。