「とんねるずは死にました」―戦力外通告された石橋貴明58歳、「新しい遊び場」で生き返るまで
視聴者は自身と同世代かと思いきや、意外な結果が出ているそうだ。 「(データを見たら)30歳までと30歳以上、52対48で若いほうが多かったんですよ。これは俺らに勇気を与えてくれて。娘の友達で20歳くらいの男の子たちが、貴ちゃんねるずを見てくれていると。『パパの面白いよね。伝えといて』って言われたのが、最近すげー嬉しかった話ですよね」 元気を取り戻して、アイデアが次々と湧いている。 「ここ数カ月、すっげえ脳動いています。『そうだ。次はあれを作ろう』とか、出るわ出るわ。『あっ、やっぱり俺死んでいたんだ』って。脳も全然動いていなかったんでしょうね。面白いもんですね」
思い出の「父親殴り込み」事件
「今、何とか世代って言ってるでしょ? 僕にはまったく分からなくて。『貴明さんたちは第3世代ですよ』とか言われると、『俺らはとんねるず世代だ!』つって。一喝してやります、生意気なことを言うやつらは」 今からちょうど40年前の1980年、とんねるずは誕生した。 「当時、芸人って言ってなかったような気がするんですよね。お笑いとは言っていましたけど。(僕らは)『東京のお笑い』ってことになるかな? テレビに出始めた時はただただ嬉しくて。テレビに出るって、すごいことだったので。電車に乗れば大騒ぎになるわ、近所も大騒ぎになるわ。高揚感と幸せで、胸がいっぱいになっていましたね」 石橋が初めてテレビに出たのは、小学校6年生。情報番組『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)の企画「夏休み加藤茶大会」に、自分で電話して応募した。加藤茶が石橋の「大ヒーロー」だった。卒業アルバムには「コメディアンになりたい」と書いている。 「ちょっとあの頃に気付いていたのかもしれませんね。自分のお笑いとしての圧倒的な力を(笑)。お笑いで日本代表『アンダー12』『アンダー15』『アンダー18』ってあったら、全部選ばれているでしょうね。各世代のナンバーワンでいたと思います(笑)」 人を笑わせることにかけては、小1の頃から自信があった。 「素人の面白い子って、テレビでプロがやっていることを真似する。僕は全くそういうのをやらずに、オリジナルなことばかりやっていました」