「何かを捨てなきゃ無理」“努力の天才”大島祐哉、夢を夢で終わらせない目標達成の思考法
元旦に誓った新年の約束を、すでに守れていない人も多いことだろう。これまでも多くの人は、どこかで努力することを諦め、妥協を繰り返してきた。 【写真】端正な顔立ちで人気も高い大島祐哉 だがこの男は4年間、自らに誓った約束を守り続けた。 彼の名は大島祐哉(木下グループ)。 「大学4年間で絶対世界選手権の日本代表になる」。無名だった大島が、東山高校卒業時に立てた目標だ。 誰も大島が日の丸を背負う存在になるとは想像すらしていなかった。しかし、自分を信じ、努力を重ね、大学4年の2015年に大島は世界選手権代表の座を掴み取った。2017年には日本勢48年ぶりの世界選手権ダブルス銀メダルを獲得し、“努力の男”として一躍脚光を浴びた。 だが、東京五輪選考レース真っ只中の2019年中頃から、彼の名を聞く機会はめっきりと少なくなった。2020年4月にはついに、ナショナルチーム候補選手からも外れた。 「大島は何をしているのか」。卓球ファンから心配の声も上がった。 これから始まる連載3本の結論を先に言おう。 心して全日本を待て、である。
群雄割拠の男子日本卓球界 それでも誓った“代表入り”
大島が早稲田大学に入学した2012年、男子日本卓球界は群雄割拠の戦国時代だった。上には水谷隼、岸川聖也、松平健太、同期には吉村真晴、1つ下には丹羽孝希。幼い頃から日本代表として活躍してきた猛者が顔をそろえていた。 「水谷さんがいて(丹羽)孝希がいて、他にも強い選手がたくさんいる中で、もっと下でしたから僕は。ここから日本代表になるには何人抜いていかないといけないんだとは思いましたね」。大島も当時の境遇を振り返る。それでも「世界選手権の日本代表になる」と自らに高い目標を課した。 「目標を立てることは自由。全力でやってみよう」。 そこから大島はラケットを振り続けた。オフの日以外の平日は授業を午前中に詰め込み、午後2時から夜9時までほぼ毎日練習した。深夜2時までボールを打ち続けた日もあった。そしてオフの日には、めいっぱい授業を入れることで、他の日の練習時間を確保した。 大島はここで、ただがむしゃらに練習量をこなしていたわけではない。大きな目標から逆算し、小さな目標や課題をクリアしていくという理詰めで考えるアプローチをとった。 「単純にただ練習をやっていてはしんどいだけ。これを達成したから次に行く、達成できなかったら何が必要なのかを見つめ直すというアプローチでなかったら、4年間で日本代表になるという大きな目標にはなかなか辿り着かない」と理路整然と話す。 この考え方は大島の高校時代にルーツがある。「(東山高校名誉監督の)今井先生にも(東山高校卓球部監督の)宮木先生にも『3年間で何を達成し、何をするのか』はよく言われました」と目標達成を問われ続けてきた。この思考法が、“努力する才能”と呼ばれるものの一部なのかもしれない。