【毎日書評】SNSごときで安易に泣くな。簡単に「共感しない能力」を身につけよ!の真意とは
「隣人を大切にしなさい」 「他人の気持ちを想像しましょう」 「相手が言われて嫌なことは言うべきではない」 (「はじめに」より) どれもまったくの正論だと、『共感バカ』(池田清彦 著、祥伝社新書)の著者は認めています。自分の目だけで世界を見るのではなく、自分とは違う誰かの目を通して世界を見る。他者の痛みや苦しみに寄り添い、分かち合おうとする。そうした「共感」が重要な意味を持つということです。 しかし、なのに本書にはなぜ、ここまで刺激的なタイトルがついているのでしょうか。どうやらそこには、大きな意味が込められているようです。 「共感」をうまく働かせることによって、私たちホモ・サピエンスは他の生物よりも優位な立場を手にし、食物連鎖の頂点に立ち、歴史を発展させてきた。 共感力はないよりあったほうがいい。 それは間違いない事実だが、だからといって共感=絶対的な善ではない。 むしろ、共感が過剰だったり、逆に不足していたり、あるいは極端に偏った共感に人々が振り回されているせいで、現代社会のあちこちにほころびができているように私には感じられる。 ひと言でまとめると、共感を適切に扱えない「共感バカ」が増えているのだ。 (「はじめに」より) たしかに共感は大切ですが、バランスを欠いてしまうとさまざまな問題が生じることになるかもしれません。そこで本書において著者は、「共感バカ」の事例を紹介しつつ、共感が人間心理と社会にもたらす影響を明らかにしているわけです。 きょうは第4章「共感病からの脱却」に焦点を当て、いくつかの要点を抜き出してみたいと思います。
共感しない能力を育てる
共感を無条件に受け入れることは、私たちの社会に多大なリスクをもたらすと著者は指摘しています。 なぜなら隣人同士を対立させ、自分と異なる他者を否定し、国家を戦争に突入させることすらあるから。過去に戦争を通じて多大な被害を与えたり、被ってきた経験を持つ日本人は、そろそろ「共感しない感性」を磨いたほうがいいというのです。 今、私たちにとって重要なことは、共感しない能力を意識的に育てることだ。 さらに理想をいえば、共感と理性を場面に応じて適切に使い分けできるようになれたらもっといい。 年齢を重ねるほどに、人は思考と変化が苦手になる。理由は簡単、億劫だからである。思考と感性が硬直化した人間は、揃って自分の正しさに固執し、視野を狭めて閉じていくようになる。 脳にミラーニューロンを持って生まれてきた以上、人間は鏡を見るように他者に自分の感情を映し出す。よって共感しないわけにはいかないが、共感に振り回されない方法もぜひ知っておきたい。(128~129ページより) 「社会に共感しない力」「孤立を恐れない力」は、社会を救う力になると著者はいいます。そのことを理解しない人が多い社会は、悲惨な末路をたどっていくだろうとも。(128ページより)