「26時間連続で撮影も」奈美悦子がアイドルの言葉さえない時代に経験した充実感と「寝台車に乗れる喜び」
というのも、当時はテレビがカラーになったばかりで、カラー調整に何時間もかかったからです。カラー調整用の女の子がいて、ファンデーションの色味をみながら照明さんがライトを調整して。私たちはその間に振付の練習をして、バックダンサーと合わせて撮影に挑みます。寝ないでそのまま次の仕事に行くこともたびたびでした。寝るとしたら、移動中の車の中。そのぶん周りも配慮して、私たち『レ・ガールズ』のメンバーには付き人やメイク、衣裳さんがつき、メイクや衣裳直しもその場ですぐ対応してくれました。西野バレエ団の中でも『レ・ガールズ』の4人だけはそういう扱いでした。
■忙しすぎて風呂場前で寝落ち「唯一の楽しみは…」 ── そうなると周りのやっかみもあったのでは? 奈美さん:怖かったのは、仕事終わり。10代のころは西野バレエ団の寮で暮らしていたので、バックダンサーもみんな同じ女子寮に住んでいます。私たち『レ・ガールズ』の4人はスポットライトをあびてハイヤーで寮に帰るけど、みんなはバスに乗って全員一緒に帰ります。バックダンサーのメンバーはほとんど先輩なので、寮に着いたら立ち位置が逆転するんです。私たちが先に車を降りても、バスを待って、「お疲れさまでした、お疲れさまでした!」と一人ひとりに挨拶しなければいけません。
寮でのお風呂は共同で、「一緒に入っていいですか?」と聞いて、優しい先輩だと「いいよ」と言ってくれるけれど、「ゆっくり入りたいから」なんて言われることも。風呂桶を持ったまま風呂場の前で寝落ちしてしまい、マネージャーが迎えに来て、結局、お風呂に入れなかったこともありました。そんな寮生活が4年続きました。 ── 多忙な日々のなかでの束の間の楽しみといえば? 奈美さん:あのころうれしかったのが寝台車。ゆっくり横になって眠れるから。あのガタガタが心地よくて、もう死ぬように寝ていました。若いってすごいですよね。いまだったら、「冗談じゃない、朝イチにしてよ!」って、思っちゃう(笑)。でも、あのころの経験で培われたのか、いまも体力はめちゃくちゃありますよ。そのへんの60代、70代と一緒にしないでよって思うくらい。それだけはもう自分でも胸を張って言えますね(笑)。
PROFILE 奈美悦子さん なみ・えつこ。1950年12月27日生まれ、奈良県出身。13歳のとき1500人の中から選出され、西野バレエ団に入団。1967年『文吾捕物絵図』(NHK)で女優デビュー。女優・歌手・タレント・コメンテーターとして数々のドラマや映画、バラエティ番組に出演し、幅広いジャンルで活躍している。 取材・文/小野寺悦子 写真提供/オフィスPSC
小野寺悦子