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岡副麻希の水泳&高校野球愛。名門スクールとガリ勉時代の衝撃の実話

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岡副麻希インタビュー 特別編「私とスポーツ」 岡副麻希さんのフォトギャラリーはこちら>> 【写真】可憐な笑顔にドキッ! 岡副麻希さんインタビューカット集 インタビュースーパーGT編はこちら>> 「もともと母校(大阪桐蔭高)の野球部を取材したいと思って、アナウンサーという伝える仕事を志しました」と語る岡副麻希さん。幼少期から、多くのオリンピック選手を輩出するイトマン・スイミングスクールで競泳に取り組み、現在もヨガや筋力トレーニングなどで体を動かしているという彼女に、これまでのプライベートと仕事でのスポーツとの関わり方、そして将来の夢について話を聞いた。  子どもの頃から夢中になっていたのは競泳です。もともとは小児ぜんそくの治療のためにベビースイミングを始めました。地元の大阪の水泳教室イトマン・スイミングスクールに通い、小学1年生からは選手コースに参加しました。  アテネ五輪の400メートルメドレーリレーで銅メダルを獲得した奥村(幸大)選手と同じところで練習していましたが、完全にアスリートを養成するようなスクールです。当時の先生方はみんな超スパルタでしたね(笑)。  イトマンでは全国の選手たちの大会記録をランキング化して発表おり、私も200メートルの個人メドレーでランキングに入ったことがありました。近畿大会では決勝に残ることができましたが、全国レベルでは出場しただけ、という結果しか残せませんでした。  小学校高学年までは一生懸命に取り組みましたが、6年生の夏には「選手として極められないな」と感じました。そこからは「勉強を頑張ろう」と切り替え、地元の中高一貫校の大阪桐蔭に入学しました。

大阪桐蔭は野球や吹奏楽が盛んな学校ですが、私は中学・高校時代は勉強ばかりしていましたね。学校の課題が多くて、それを日々こなすのが精一杯。体を動かす暇はなかったです(笑)。勉強の息抜きが、甲子園のアルプススタンドで応援することでした。  私はもともと理系で、中学時代は京都大学の工学部を目指していました。でも物理がどうしても苦手で、高校2年生の時に文系に転向。その頃に高校野球のおもしろさを知り、母国の野球部を取材して伝える仕事をしたいと思い始めました。なんとなく東京の大学に行けば、そういう仕事に就けるのかな、と考えていました。  高校野球は今でも大好きで、今年も注目していました。母校の大阪桐蔭は大阪大会では、準決勝で負けてしまい残念でしたが、甲子園交流試合では勝利しました! 高校野球の魅力をひとことで言うと、全力。そしてチーム一丸。それはグラウンドでプレーしている選手だけではなく、マネージャー、ご家族の皆さん、応援する生徒、みんながそれぞれの場所で頑張り、一丸となるところですね。その一生懸命な姿を見ていると、すごくパワーをもらえるんです。  東京の大学に進学してからは、イトマン時代の友達と再会したことをきっかけに、また水泳漬けの毎日を送っていました。競泳サークルと準体育会に入り、フィンスイミングや遠泳をやり、大学の水泳の授業でもティーチングアシスタントをしていました。アルバイトではプールで子どもたちにスイミングを教えるインストラクターをしていましたので、一日中、水の中にいました。多い時だと1日で20キロぐらい泳いでいましたね(笑)。  大学生になって水泳を再開しようと思ったのは、単純に好きだから。私は中長距離をしていたのですが、速さや瞬発力がなくても、苦しさを我慢さえすれば、タイムが出るのが合っていたのかもしれません。ある一定のポイントをこえたら、どこまでも泳ぎ続けることができるという状態になります。ランナーズハイといのは有名ですが、スイマーズハイというのもあるんですよ。

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