ライブハウスは「濃密最前線」じゃなきゃ面白くない――感染判明で店名公表、借金2億円の再出発【#コロナとどう暮らす】
創業50周年目前での「事件」
平野さんがジャズ喫茶「烏山ロフト」をオープンしたのは1971年。常連客の学生の中には、若き日の坂本龍一さんもいた。1973年にはライブハウス「西荻ロフト」をオープンし、以降、約20軒のライブハウスを作り、日本のライブハウス文化を育て上げてきた。 今回の撮影は、1999年に東京都新宿区歌舞伎町へ移転した「新宿ロフト」で行った。2019年には、古くからロフトに出演してきた山下達郎さんがスペシャル・ライブを新宿ロフトで開催。現在、新宿ロフトが展開している存続プロジェクト「Forever Shinjuku Loft」には、布袋寅泰さんやBUCK-TICKもコメントを寄せている。ロフトは、ミュージシャンや音楽ファンに長年愛され続けてきた。 「ライブハウスは、今は市民権を得ていますよ。僕が西荻ロフトを作った時は、東京には一件もライブハウスがなかったのに、今はちっちゃな街にもある」 そして、ライブハウス文化が成熟してきたタイミングで、新型コロナウイルスの感染拡大は起きた。 「今はCDが売れない。ミュージシャンはライブを面白くするしかないから、ライブは最高に面白くなっている。そういう状況の最中での事件でした。でも、レコードや配信は、僕から言わせれば『経験』。現場でライブを見て、『今日の演奏はどうだった』って話したり、ときには社会運動に向き合ったりすることも含めて、それこそがロックであり、『体験』なんですよ」
当初の赤字は毎月5000万円、それでも50人の雇用は1年死守
会長は辞任したものの、平野さんは驚くべき決断をした。正社員50人の雇用を、1年間は死守するというのだ。 「店が12軒あって、赤字は当初、月に5000万円。それを経理から聞いた時は頭がぶっ飛びましたよ。もちろん今はいろいろ削って経費は少なくなってきたけど、それでも半端じゃない。この新宿ロフトの家賃は月320万円で、いろんなのを入れると370万円。他の店もだいたい100万円を超えますね」 かつてはサザンオールスターズのメンバーも、当時存在した「下北ロフト」でアルバイトをしながら出演していた。 「昔はライブハウスなんて、ロック好きの学生が2、3年働いて、就職して辞めていったんですよ。でも、今はみんな結婚したり、子供を持ったりしているから、切るわけにはいかない。今クビを切られたら就職先なんてないでしょ?」 ロフトプロジェクトの12店舗は営業再開に向けた準備のかたわら、有料配信番組と飲食物のテイクアウト販売にも注力し、6月だけで200番組を配信する。ただ、それだけではとても全員の「食い扶持」を賄うことはできない。 「国金(日本政策金融公庫)と保証協会(信用保証協会)を通じて、2億円を調達したんだ。これで1年は持つ。返済するのに30年かかるけど、僕はもう70歳を過ぎてるんだから、その頃には死んでいる(笑)。みんな安月給だった分、そこそこ内部留保もある。僕が50年間溜め込んだ金もある」 それにしても、新型コロナがなければ、平野さんは悠々自適な老後を迎えていたはずだ。ところが平野さんは、そんな「老後」を笑い飛ばす。 「一番僕が儲かるのは、今事業をやめることなんだよ。店の保証金も全部返ってくるし。でも、僕の金を全部使い切ってしまうんだよ。それは会社で儲けた金だから。僕はこれから老人ホームに行くから、その金まで取られちゃったらかなわないけど、それ以外は全部なくなったって問題ない。70歳を過ぎるとそう考えるんですよ(笑)」