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共産圏変えた「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」 民主化後退で再び拡大 ベルリンの壁崩壊30年、東欧は今(2)

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 ソ連・東欧の共産圏諸国が欧州の中央で「鉄のカーテン」を引き、人の移動や情報の流れの遮断を試みた冷戦時代、西側から東側に向けて発射されたラジオ電波はカーテンを貫き、情報独占を図る東側の独裁政権を悩ませた。1989年に冷戦が終わり、東欧が民主化した後、こうしたメディアは規模を縮小。しかし、東欧の強権化で報道の自由が後退しつある近年、インターネットなどを舞台に再び活動を拡大しつつある。(共同通信=小熊宏尚)  ▽アパート中がアンテナ  2015年から18年にポーランドの外相を務めたウィトルド・ワシチコフスキ氏(62)が、西側の放送を聞き始めたのは冷戦期の10代の頃だった。ダイヤルを合わせたのは米国出資のラジオ・フリー・ヨーロッパ(RFE)やボイス・オブ・アメリカ(VOA)、英BBC放送、ドイツやフランスのラジオなど。「ポーランド国営局はつまらなかった。党の宣伝ばかり。時々クラシック音楽も」。ベルギー・ブリュッセルの執務室でこう振り返った。

 中でもRFEはよく聞いたという。世界で何が起きているのか。自主管理労組「連帯」の動きは。トイレットペーパーを買う行列はなぜ起きる―。同局は一党独裁下のメディアは伝えない、自国や共産圏の政治の動きや事件、事故を報道、西側に逃れた反体制派らの声も紹介。「RFEは私たちを〝教育〟した」と同氏は言う。  当局は妨害電波で対抗したが、同氏は比較的聞きやすい周波数を探したり、ソ連製の高性能受信機を入手したり、アンテナを設置したりして西側報道を追った。アンテナといっても、ラジオから延ばした電線を自宅アパートの暖房機につないだだけ。暖房機は金属パイプでアパートの全戸とつながっており、金属部分がアンテナの役割を果たした。「つまりアパート全体がアンテナになっていたわけだ」  ポーランドに戒厳令が敷かれた1980年代、ワシチコフスキ氏は同国中部ウッジ大学の歴史学講師だった。「当時は自宅でよくパーティーを開いた」と言う。どんちゃん騒ぎが近所に漏れてもお構いなしだった。

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