保存か解体か、ヒロシマ最大級の被爆建物 命救われた男性が語り続ける地獄絵
▽愚かな戦争の象徴 「われわれは犬死にか。せめて何かの役に立ててくれ」。被服支廠の近くを通るたび、中西さんには今でもこんな声が聞こえる気がするという。 被服支廠は95年に民間利用が終了し、博物館構想などさまざまな活用策が提案されては、財源不足を理由に立ち消えとなっていた。中西さんは「原爆文学や原爆の絵などの作品を展示してもいいし、核廃絶を推進する団体が集まって会議を開く場所にしてもいいのでは」と語る。巨大な遺構は軍都として発展した広島のシンボルで、加害の歴史も伝えられると信じている。 かつて被服支廠の屋内で、学生らを前に体験を証言する機会があった。引率の教員からは「生徒たちの表情が違う」と言われた。「エアコンの効いた部屋で地獄の光景を話しても、ピンとこないんでしょう。戦争の雰囲気を体感できる場所であれば、反応も違う」 08年と19年にがんが見つかった。闘病しながらも活動を続け、新型コロナウイルスの流行前に、証言回数は800回を超えた。繰り返すがんに、原爆の放射線の影響が頭をよぎることもある。それでも「あの時奪われた命を思うと、私は幸せすぎて。生き残った者として何かしなければ申し訳ない」と自らを鼓舞してきた。
「国民が耐乏生活を強いられる一方で、軍はこんな巨大で立派な建物を使っていた。被服支廠は愚かな戦争の象徴です。私はその建物に守られた。そんな実態を語り継ぐためにも、建物はできる限り残してほしい」