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低迷期のロッテを支えた“悲運”の鉄腕助っ人、荘勝雄を忘れるな!/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

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郭と投げ合い意地の完封勝利

 そんな状況でも同郷の呂明賜が巨人に入団すると「何でも困ったことがあったら、オレに電話してこいよ」と兄貴分を買って出る人の良さは相変わらずで、89年6月7日の西武球場ではライバル・郭泰源との先発直接対決が実現し、1対0の意地の完封勝利を挙げた。それでも勤続疲労から90年は右肩痛で開幕二軍スタート。この年には待望の子宝にも恵まれたが、荘は後半にはリリーフに回ったこともあり5勝14敗と大きく負け越し。デビューからの連続2ケタ勝利記録も5年で途切れてしまう。気が付けば、村田兆治の引退で、91年から投手陣最年長に。同年11月に帰化して日本国籍を取得した。なおチームは「テレビじゃ見れない川崎劇場」の自虐的な球団CMが話題となるも、首位・西武と33.5ゲーム差をつけられぶっちぎりの最下位に沈んでいる。  荘は当時まだ32歳で老け込む年ではなかったが、ロッテが千葉移転後の92年から3シーズン勝ち星なし。4年ぶりの勝利投手となった95年限りで現役引退を表明した。実働11年、297試合70勝83敗33セーブ、防御率4.05。場当たり的な起用法に同郷の「二郭」と比べると低い評価、アメリカ経由の助っ人よりも破格に安い年俸に悩まされたが、一方でなんで俺を評価してくれないんだという反骨心が荘の原動力にもなっていたのではないだろうか。  80年代の球界を盛り上げた台湾旋風。いまだにデビュー直後の郭泰源を史上最高の投手と称する声は多いし、100勝100セーブを達成した郭源治の人気も高い。だが、昭和の終わりから平成の始まりにかけて、あのお好み焼きの匂い漂う川崎球場でひたすら投げまくっていた、鉄腕・荘勝雄の存在も忘れないでいたい。 文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM

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