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低迷期のロッテを支えた“悲運”の鉄腕助っ人、荘勝雄を忘れるな!/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

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週刊ベースボールONLINE

「二郭一荘」と称されながら……

 並はずれた足腰の強さを誇る背番号15の投球スタイルは最速148キロのストレートに、1試合で相手バットを3本へし折ったこともあるというカミソリシュート、さらにはカーブ、スライダー、ナックルと多彩な変化球を操り、いきなり先発にリリーフとロッテ投手陣の中心を担う。1年目から11勝10敗4セーブ、防御率4.15の成績を残し年俸1200万円へとアップ(オールスター戦にも故障の郭泰源の代役として初出場)。2年目の86年もチーム事情から抑えを任せられると、当時のリーグ新記録となる10連続セーブをマークして、『週刊ベースボール』9月15日号の人気コーナー「小林繁の熱球トーク」に登場。日本語でインタビューを受けている。 「(西武戦で連続セーブ記録が10で止まり)悔しかったよ、ホント。でも、僕、ホントは先発やりたいのよ。来年、困るよ(笑)。先発なら、3年、5年、大丈夫と思うの。抑えだったら、来年、無理かもしれないね。やっぱり、自分の体、自分で一番、わかるでしょ」 「毎日毎日、ベンチ、入るでしょ。特にウチの抑えは、1イニングじゃないね。2回、3回ね(笑)。多いから。自分、それ、心配なのね。何年、できるかなって、すごく心配するの。特に、僕の体ね、大きくない。小さいね。僕、外人でしょ。もし、1年、ダメだったら、クビになるかもしれないね。すごく、心配するの」  荘は自身の酷使とも言える起用法に不安を覚えていた。この年は49試合で11勝5敗18セーブ。現代野球では考えられないが、リリーフ登板して3~4イニング投げることもあり、なんと143回で規定投球回にも到達している(リーグ3位の防御率3.15)。  3年目以降もその投げっぷりはすさまじい。先発に戻った87年は自己最多の13勝(11敗)を挙げ、230.2回で20完投を記録。そこから3年連続200イニング以上を投げ、88年13勝14敗、89年11勝15敗と2年連続最下位に沈んだ暗黒期のチームにおいて、ひとりで勝敗を背負うエースの働きを見せる。いわば、ロッテの歴史で昭和後期の村田兆治と平成前半の小宮山悟や伊良部秀輝の間をつないだのが、荘だったわけだ。  しかし、だ。これだけ投げて、台湾出身の「二郭一荘」と語られながらも、人気面・条件面ともにふたりの郭には大きな差をつけられていた。88年オフの契約更改では2連連続のセーブ王でMVPに輝き、星野中日のV1に貢献した郭源治がタイトル料込みで年俸1億円の大台に到達。西武黄金時代で13勝を挙げ、3年連続日本一に輝いた郭泰源も6000万円。対照的に4年連続2ケタ勝利の荘に対しては、ロッテ球団からなんと現状維持の3600万円が提示された(これにはさすがに批判も多く最終的に39パーセントアップの推定5000万円で更改)。そりゃあ90年ドラフト会議で8球団競合の末に引き当てた小池秀郎からも「絶対に行きたくない球団」なんつって入団拒否されるよ……と妙に納得してしまうロッテ経営陣のシブチンぶりである。

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