〈筆の体〉と〈魔酔〉が行動原理? ありもしない罪で葬られた“無政府主義者”の「幸徳秋水」とは(レビュー)
大逆事件で処刑された無政府主義者幸徳秋水。日本近代史に深く刻まれた事件なのでその名は誰もが知っているが、実像を知っている人はほとんどいないのではあるまいか。私も全然知らなかった。それだけに激しい生き様に目を奪われ、一気に読み進めた。 秋水の行動原理は〈筆の身体〉とか〈魔酔〉とかいうらしい。毛筆で字を書くときは筆先や墨の流れまで思いのままに操れるわけではない。あるいは車に轢かれそうな子供を見たら、誰だって道徳以前の問題として助けようとするだろう。それと同じで、何か重大なことを起こすときは意志を超えた力が内側からあふれ出てきて、はじめて行動に移すことができる。意味やリスク計算を優先したら何もはじまらないのだ。 秋水は社会主義者であったが、社会主義のなかにも組織や規範や方法論がある。それらはシステムとして機能し、自由な発想や行動を妨げる。だから真に自由な社会をつくるには、あらゆるシステムから独立した力、すべての常識や因果関係から解き放たれた制御不能で意味不明な流れに身を任せるしかない。それがアナキズムなのだという。 究極の自由は日本国家の根本原理である天皇制と衝突せざるをえず、最後はありもしない罪を着せられて葬られた。でも個人的な話をすると、秋水の思想は私個人の生き方とびっくりするほど同じだった。北極探検だって結婚だって本当に大事な決断は、決断した時点でもうそれをやることが決まっていた。意志とは別のところで働く制御不能性や偶然こそが人生を動かすのだ。そんなことを書き、実践してきたのだけれど、じつはそれはアナキズムそのものだったらしい。 生を突き動かすエネルギーが伝わってくる。合理性とか効率とか成果主義とか、現代社会にあふれる下らないワードに吐き気をもよおすすべての人におススメする。 [レビュアー]角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家) 1976年、北海道生まれ。ノンフィクション作家、探検家。早稲田大学探検部OB、元朝日新聞記者。著書に『空白の五マイル』『雪男は向こうからやって来た』『アグルーカの行方』『探検家、36歳の憂鬱』『探検家の日々本本』『旅人の表現術』など。近著『漂流』は自身の体験ではなく沖縄の猟師の人生を追い、新たな境地を開く。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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