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【車いすバスケリレーインタビュー 男子Vol.9】髙柗義伸「“何もできなかった”悔しさから生まれた人生初の本気の目標」

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バスケットボールキング

インタビューした選手に「現在成長著しい選手」「ライバルだと思っている同世代選手」「ベテランから見て将来が楽しみだと思っている若手」「若手から見て憧れているベテラン」などを指名してもらい、リレー方式で掲載するこの企画。車いすバスケットボール選手の個性的なパーソナリティーに迫っていく。 文・写真=斎藤寿子  昨年からA代表の強化指定選手となったのが、髙柗義伸(栃木レイカーズ)。現在、日本体育大学に通う20歳だ。Vol.8で登場した鳥海連志(パラ神奈川)は、同じ1999年生まれで親友でもある髙柗について「彼がA代表の方に入ってきてくれたことが自分の励みにもなっている」と語る。将来を有望視される若手の一人、髙柗にインタビューした。

“走り回る”ことが叶った車いすバスケの虜に

 もともとスポーツが得意で、何でもすぐにできたという髙柗は、中学までは野球選手として活躍した。その彼の左脚に突然異変が起きたのは、中学3年の春のことだった。野球部の練習中、なぜか左脚が思うように動かず、練習を中断。顧問の先生から「すぐに診てもらってきなさい」と言われた。だが、当時は大事な県大会の1週間前。攻守にわたってチームの中心選手だった髙柗は「もし自分が抜けたらチームに迷惑をかけてしまう」と思い、病院には行かなかった。 「疲労骨折だと思っていたので、整形外科で診てもらったらギブスで固められて試合に出られなくなる、と思ったんです。それで整骨院に行きました。だましだましならなんとかなるかなと」  しかし、左脚の状態は悪くなる一方だった。大会前日の体育の授業では、得意の走り幅跳びも助走すらできないほどに動かなくなっていた。それでもその日の夜、父親に鍼の治療院に連れて行ってもらうと、奇跡的に脚が動くようになった。 「これで大丈夫」。安堵した気持ちで、翌日の試合に臨んだ。ところが、試合終盤のこと。安打で出塁した髙柗は、ベンチからの指示通りに盗塁を成功させた。しかし、走塁の途中で左脚に異変は起きていた。二塁ベース上で動けなくなり、交代を余儀なくされた。そして、その盗塁が野球選手としての最後のプレーになった――。  試合後、病院で診察を受けた髙柗に、医師が告げたのはまったく予想していなかったものだった。「骨肉腫」。小児の骨に発生する悪性腫瘍が原因だった。すぐに腫瘍を摘出し人工関節置換の手術が行われた。 「高校でも野球を続けるのかなぁという漠然とした思いはありましたが、特に執着していたわけではないので、野球ができなくなったことに関してはあまり何も思いませんでした。ただ、やっぱり趣味の範囲でいいからスポーツはやりたいな、という思いはいつもありました」  退院後、髙柗はそれまで野球部の練習のためにできなかった友人との時間を楽しむようになった。その一方で、スポーツへの思いが心のどこかにあった。医師からは「動かせない」と説明を受けた人工関節の左脚をなんとか動かそうと、スクワットを試みたりもした。しかし、それは「動かす」とは程遠いものだった。  翌年、高校に入学した髙柗は、クラブ活動には入らず、放課後は友人と過ごし「それなりに楽しい日々を送っていた」。そんなある日、両親から勧められたのが、地元のチームが開催した車いすバスケの体験会だった。 「正直、面倒だったし。行くのが嫌でした(笑)」  それでも両親の強い勧めもあり、行くだけならと体験会に参加した。すると、一瞬にして車いすバスケの虜になった。 「あれ?めちゃくちゃ、おもしろいじゃん!って(笑)。すぐに『オレ、これやりたい!』って思いました。一番大きかったのは、できなくなった“走り回ること”ができたことでした」

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