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見栄晴「モノで溢れる実家。女手ひとつで育ててくれた母は、僕のすべてを残していた」

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婦人公論.jp

実家は大量のモノだらけ。しかし、母親の介護中はとても手を付けられず、母亡きあとは茫然としてやはり手に付かなかった見栄晴さん。自分では片づけられないでいたところ、転機がやってきて──(構成=平林理恵) 【写真】見栄晴さんにそっくりのお母さん! * * * * * * * ◆指摘されて気づくこれはゴミ屋敷……? 3年前に、母を89歳で亡くしました。母は築40年の一戸建てにひとり暮らし。晩年は身体の自由がきかなくなり、僕が毎日介護に通っていたのですが、家の中には大量のモノが溢れている状態でした。 で、母の死後しばらくして、あるテレビ番組で、実家の遺品整理について取り上げたいというお話をいただいたんです。いい機会だな、と思ってお願いしました。 それで、まず打ち合わせということになり、スタッフが実家にやってきたんですが、みんな驚いてね。「見栄晴さん、これ、俗に言うゴミ屋敷じゃないですか」って。言われて「そうなんだ」と。(笑) ◆借金は2回肩代わり親不孝息子への母の愛情 小学校に上がる頃、母が食堂を始めました。住宅街の、まわりにお店なんか一軒もないようなところで。住まい兼店舗の、カウンター5席の小さな店です。 ところがその2年後、親父が心不全で急死して。以来、おふくろが女手ひとつで育ててくれました。一人っ子なので、僕が40歳で結婚して実家を出るまで二人暮らし。 当時は感じていなかったけど、生活は大変だったんじゃないかな。朝からコンビニで働き、夜は食堂、時々スーパーでソーセージを焼く実演販売の仕事もやっていました。子どもの頃は、うちの食堂で夕飯を食べて。よくお店の常連さんに遊んでもらいましたね。 お店が休みの日曜、おふくろはたいてい好きなパチンコに行き、勝った分は、ピンク・レディーのレコードとか、僕が喜ぶ景品に換えてくれた。その間、僕はパチンコ屋の隣のゲームセンターでインベーダーゲーム。帰りに夕飯を食べるんですけど、ゲームにお金を使いすぎた日は立ち食い蕎麦かラーメン、あまり使わなかった日はレストランでハンバーグ。そのあたりはきっちりしてましたね。 高校生のときに『欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの!)』に出るようになったんですけど、ギャラは全部おふくろに渡して、小遣いをもらっていました。でもゲームにはまって足りなくなり、最初はカードでキャッシング、そのうち消費者金融に手を出して。 高校を卒業するかしないかの年齢でも、借りられちゃったんです。気づいたら首が回らなくなっていた。それがばれて、ある日家に帰ると、おふくろが金属バットを持って玄関に仁王立ち。すごい剣幕でお尻をたたかれて。でも、借金は全額返してくれました。 さらに数年後、ギャンブルでつくった借金を肩代わりしてもらったこともあります。ホント親不孝者ですよ。でも、そんな僕におふくろは愛情をたくさん注いでくれました。

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