人類史が教えるパンデミック収束の道筋と、コロナ後の世界
新型コロナウイルス感染症の発生から1年。世界を巻き込んだパンデミックは、人間が忘れかけていた「生態系の掟」を思い起こさせました。その掟とは…? 石弘之さんにお話をうかがいました。 ■衰えを知らない新型コロナウイルス ――新型コロナウイルスをきっかけにしたインタビューをしてから、間もなく一年です。振り返ってみてどんな感想をお持ちですか。 石:ちょうど100年前にも「スペイン風邪」というインフルエンザの大流行があり、推定5000万人から1億人が死亡しました。改めて、そのときの対策や社会的な影響を調べているのですが、「しっかりマスクをして、人混みには出ない。感染が疑われる人には近づかない」と。今と変わらないのですね。「歴史は繰り返す」というのか、「歴史から何も学ばなかった」というのか……。 ――現在の状況を想像していましたか。 石:ここまでとは想像していませんでした。新型コロナウイルスはRNAウイルスという種類で、変異を起こしやすいタイプなので、大変なことになるかもしれないとは考えていました。一方で、SARS(重症急性呼吸器症候群)を引き起こした「SARSコロナウイルス」の兄弟分ですから、数か月で収束するかも、とも思っていました。 SARSは2002年11月に最初の患者が確認され、翌年7月にWHOが終息宣言を出しました。オリンピックの前には収まるかもしれない、と予想していたのですが甘かったですね。
――いまだ勢いが衰えません。ヨーロッパやアメリカでは特に猛威を振るっています。 石:今回のパンデミックは、人類にとって第二次世界大戦後の最大級の試練と言えると思います。度重なるロックダウンで社会は混乱し、経済は停滞、政治は効果的な対策を打ち出せないままに試行錯誤を繰り返しています。この間に、貧富の差が拡大し、発展途上地域では飢餓人口が前年の2倍に急上昇しました。 ――感染症の歴史を追ってきた石さんは、新型コロナウイルスというのはどんなウイルスだと見ますか。 石:正直、まだ正体がつかめません。なぜこれほど感染力があるのか、ほかの感染症に比べて致死率が高くないのか。感染症は人間側の努力で封じ込められると思っていましたが、どこまで可能なのでしょうか。 ――封じ込められた国と封じ込められなかった国、対応にも差が出ました。 石:今の段階ですと、どこが成功でどこが失敗したとはまだ評価はむずかしいと思います。 たとえばスウェーデンは感染予防をせず、集団免疫をつけることで収束を狙いました。ヨーロッパ中がロックダウンしている中で、行動制限も緩やかでしたが、4~5月に感染者が増加。その後、夏前には落ち着きましたが、再び11月ごろから感染者が急増しました。とはいえ、ほかのヨーロッパ諸国と比較して人口当たりの死者が多いわけではありません。 日本も国内では、政府が批判されていますが、アメリカに比べると、死亡者は2桁少ないのは事実です。そういった国々と比べたら、まだうまくいっているという見方もあるかもしれません。一方で、自宅療養を強いられ、亡くなる方が後を絶ちません。日本は人口当たりの病床数は世界一にもかかわらず、です。 東日本大震災や福島原発の事故のときもそうでしたが、日本の政治はなぜこうも「非常事態」に対して準備不足であり、対策が後手後手にまわるのでしょう。 ――まだ評価は難しいということですが、台湾はいかがでしょうか。 石:台湾は現時点では成功でしょう。コロナ禍のなかで「一服の清涼剤」になりました。全世界が侮っていた中で、2003年のSARSの教訓を生かし、水際対策を徹底しました。現在、約2300万人の人口に対して死者は7人です。オードリー・タン氏を中心としたIT対策が功を奏したことに注目が集まっていますが、そのほかにも比較的人口が少ないこと、民族的な統一性があり対策が立てやすかったことも挙げられると思います。さらに経済的な豊かさも外せません。 ――石さんがいつもおっしゃる、人類と微生物、という視点ではいかがですか。 石:人類という視点から見れば、ワクチンを奇跡的な猛スピードでつくったとか、新薬開発の可能性が高まったとか、希望もありました。一方で、アメリカやブラジルの大統領のように対策の足を引っ張った政治家には絶望しましたが。 世界を見渡して、国民の命や安全を守るのに、改めて政治家の「質」がいかに大切かを痛感しました。 ■見て感染症を知る新刊『図解 感染症の世界史』 ――角川ソフィア文庫『感染症の世界史』は、新型コロナウイルスの流行より1年以上前に刊行されながらも、今回の流行を予想していたかのような記述があり、話題になりました。