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山崎育三郎×古田敦也 前編「僕はWikipediaも読んでます(笑)」

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山崎育三郎【はなうたまじり】

人と会って、話して、楽しくて。思わず鼻歌を歌いたくなる。歌で心に温もりと潤いを届ける“歌うスーパー美容液”山崎育三郎さんが、「今会いたい人」と「こんなことやってみたい」ということを実現して、おしゃべりもするこの連載。  今回のゲストは古田敦也さん。野球少年だった育さまが、小学生の時に出会った“メガネをかけたヒーロー”。カッコよくて、知的で、謙虚で。仲間と野球カードで対決するときは、必ず古田選手のカードで戦った。この日は、キャッチボールをしたり、サインをねだったり、終始少年の顔。まさに至福の2時間だった。 山崎育三郎【はなうたまじり】の記事一覧をチェック♪ 山崎さん:Tシャツ¥14000、トラウザース¥42000/ディスカバード その他/スタイリスト私物 古田さん:すべて本人私物

【古田敦也さんと野球】

≪古田さんの存在が夢を与えてくれた≫ ■山崎  今日は古田さんのヤクルト時代の野球カードを持ってきました! 僕、小学生の頃に所属していた少年野球チームのみんなで神宮球場に行った時に、生の古田さんを見て魅了されてしまったんです。メガネをかけてキャッチャーをやっている姿に猛烈に憧れて。 ■古田 有り難いです。すごいコレクションで、今となっては僕も欲しいぐらい(笑)。 ■山崎  どうぞどうぞ! 好きなの選んでください。古田選手になりたい一心で、小学校3年生かな? 視力検査で嘘をついて、親にメガネを作ってもらったことまであります。お陰で目が悪くなりました(笑)。 ■古田 子供に夢を与えられたのは嬉しいですが、余計な影響まで与えてしまったようで申し訳ない(苦笑)。 ■山崎  大丈夫です(笑)。でも、僕の場合は、メガネ姿に憧れただけですが、目の悪かった野球少年にとっては、古田さんの存在が、視力の悪い子供たちに、「自分もプロ野球選手になれるかも」って夢を与えてくれたわけですからね。しかも、社会人野球を経て、プロになったのが25歳ですか?

■古田 小中高と、地元で、「野球の上手い子がいる」ぐらいには認識されていた程度で、僕自身、まさか将来プロ野球選手になれるとは思っていなかったですからね。高校でも、野球部には入ってましたけど、甲子園には行けず県大会の2回戦止まり。プロを意識したのは、大学の4年生ぐらいです。プロになるまでの経緯は色々あったんですけど、それはWikipediaを見ていただいて(笑)。 ■山崎  僕は読んでます(笑)。大学野球で活躍された古田さんが、大学4年の時にドラフトにかからなかったのは、メガネをかけていたことも理由の一つだったんですか? ■古田 そうですね。プロ野球というのは、どうしてもナイトゲームがメインなので、メガネをかけていることはネックだったと思います。ただ、野球の実力を買われてトヨタ自動車に就職できたので、まだチャンスはあるなと思いました。そうしたら、1988年にソウルオリンピックがあって、そのメンバーに選ばれたんです。 ■山崎 確か、メダル獲りましたよね? ■古田 決勝で負けて、銀メダルでした。でもそれがきっかけで、ヤクルトから2位指名されてプロ入りできた。最後のチャンスをなんとかものにできたんです。当時、野球の本場アメリカでも、メガネをかけて一線でやっている選手はあまりいなかった。でも僕の中では、メガネをかけていてもできることを証明できれば、まだチャンスがあるんじゃないかと思って。 20代はかなり尖ってましたね(笑)。 ■山崎  穏やかな印象がありますけど。 ■古田 勝つか負けるかの勝負を毎日やってるわけで、相手チームという敵だけじゃなく、同じチーム内のライバルにも勝たなければいけない。それに、成績があかんかったらクビですから。毎日必死で、「あいつらに負けたら終わりや」と、そればかり考えていました。

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