異例のローマ皇帝マクリヌスとは何者だったのか、映画『グラディエーターII』で注目
地方から近衛隊の長官に
マクリヌスの若年期については多くの記録が失われているが、法律を学んだ後、近衛隊の行政官になったことはわかっている。 西暦212年、カラカラ帝の統治下で、マクリヌスは近衛隊の長官に昇進し、ローマで最も権力がある人物への仲間入りを果たした。機密情報機関と皇帝のボディガードの中間のような近衛隊は、皇帝の盛衰を左右する存在だった。 政府の干渉が続いていたにもかかわらず、近衛隊は帝国の運命を変えた。西暦41年、近衛隊は皇帝カリギュラの暗殺を企てて実行した。1世紀後、近衛隊は帝位を競売にかけ、193年にディディウス・ユリアヌスが短期間、ローマ帝国を支配するのを助けた。
カラカラ帝がマクリヌスを狙う
マクリヌスは217年までに、カラカラ帝による中央アジアのパルティアへの遠征に加わった。 カラカラ帝はマクリヌスを完全には信頼していなかった。マクリヌスが自分に代わって皇帝になるという予言を聞いたとされている。カラカラ帝は残忍なことで悪名高く、211年に実の弟ゲタを殺すなど、ライバルを排除するやり方を知っていた。 マクリヌスは先手を打つ必要があると考え、おそらくカラカラ帝の暗殺を計画した。現在のトルコにある神殿に向かう途中、一行がトイレ休憩のために止まったとき、カラカラ帝は近衛兵に刺殺された。この近衛兵はすぐに殺されたため、誰かの命令で行動したかどうかを確かめることはできなかった。 3世紀の歴史家ヘロディアヌスによれば、帝位を奪ったように見られることを望まなかったマクリヌスは倒れた皇帝を火葬し、その遺灰をカラカラ帝の母親に送った。
自ら皇帝を名乗る
カラカラ帝が殺害された後、マクリヌスは指名を待つことなく、自ら皇帝を名乗った。冷酷で短気なカラカラ帝が死去したことに誰もがホッとしていたため、気にする人はほとんどいなかったようだ。 マクリヌスは慈悲深い支配者としての地位を確立しようとした。古代ローマの軍隊には、罰を受ける兵士の10人に1人を殺すという刑があった。ヘロディアヌスによれば、マクリヌスはこれを100人に1人にすることを奨励した。 ヘロディアヌスは、マクリヌスが慈悲深い支配者を演じていたと信じ、広く敬愛されていた禁欲的な皇帝マルクス・アウレリウスのまねだったと非難している。マクリヌスの禁欲主義は表面的なものだったとヘロディアヌスは主張し、マクリヌスは「帝国の行政を怠り(中略)際限のないぜいたくにふけっていた」と説明している。 元行政官のマクリヌスを無能だと断じる者もいた。マクリヌスが「自分を誠実に見せようとする演技に比べると、(職務に対する)理解は正確ではなかった」とディオは述べている。 ローマの人々は、マクリヌスが騎士の身分であることにも不満を持っていた。同時に、カラカラ帝が殺された後、マクリヌスがローマに戻っていないことも不支持の一因だった。 決定的なのは、マクリヌスが軍の支持を失い始めたことだった。軍はパルティアとの和平合意を恥じていた。経費削減のため、新兵の給与を引き下げたせいで、皇帝への不満はさらに高まった。