<パリ同時テロ>欧州全域が脅威に テロ対策としての異文化との共生
反移民の中心地だったフランス
ただし、今回の事件がフランスで発生したのは、直接的なきっかけとしてのIS空爆だけでなく、その背景となる理由もあげられます。フランスはヨーロッパのなかでも、ISだけでなくイスラム過激派によるテロが起こりやすい国といえます。 ピュー・リサーチ・センターによると、2010年段階でフランスの全人口の約7.5パーセントはムスリムで、これはおよそ470万人にのぼります。これは比率、人口ともにヨーロッパ最大です。 フランスをはじめ、ヨーロッパ諸国でムスリム人口が増え始めたのは、第二次世界大戦後のことです。大戦後、ヨーロッパ各国は戦後復興の人手を確保するため、当時の植民地や関係の深い土地からの移民を奨励しました。その中でフランスには 、アルジェリアなど中東やアフリカから多くの移民が集まりました。出自にかかわらず、フランスで生まれた者にはフランス国籍を付与する「出生地主義」もあって、フランスは文化を超えた一体性をもつ国として知られるようになりました。その後、冷戦終結で人の自由移動が盛んになったことで、移民の規模は爆発的に増えたのです。 もちろん、ムスリムのほとんどは過激派ではありません。しかし、人的ネットワークを重視するムスリムが、フランスでヨーロッパ最大のコミュニティを形成していることは、イスラム過激派にとって、仲間を集めたり、物資を調達したりすることを容易にするといえます。 それだけでなく、フランスはヨーロッパにおける反移民の動きの一つの中心地でもあります。フランスでは1980年代に極右政党の草分けともいえる「国民戦線」が台頭し、反移民のスローガンを掲げてきました。 移民の中でも、とりわけムスリムはフランス社会との大きな摩擦を抱えています。それはフランス革命以来、ヨーロッパのなかでも政教分離や世俗主義が厳格な国の一つであることに関係します。ここからは、フランス人としての一体性が「公の場で特定の宗教を強調しないこと」で保たれるという発想が生まれますが、これは宗教的行為と日常的行為の境目がほとんどないムスリムにとって、抑圧と映ることもあります。 1989年に公教育の場でムスリム女性が髪を隠すスカーフを着用できるかが大きな論争となって以来、フランスではイスラムを公共の場から排除しようとする動きが強まりました。2011年には、ムスリム女性が顔や全身を覆うブルカを公共の場で着用することを「テロ対策」として全面禁止。これらは多くのムスリムからも、「フランスがイスラムに差別的」とみなされる要因になっており、ISなどイスラム過激派からみてフランスは優先順位の高い攻撃対象といえるでしょう。