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「どこまでが発達障害の症状なの?」ADHD小島慶子さんの戸惑いーー生来の気質か生育環境か

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40歳を過ぎてから軽度のADHD(注意欠如・多動症)と診断された小島慶子さん。自らを「不快なものに対する耐性が極めて低い」「物音に敏感で人一倍気が散りやすい」「なんて我の強い脳みそ!」ととらえる小島さんが語る、半生の脳内実況です! 【写真】40歳を過ぎてADHDと診断された小島慶子さん

静電気のような抑えがたい感覚

 私の話は、どこからどこまでが発達障害の症状なの?とはっきりしないと思います。そうなのです。自分でも分からないのです。あなたがそうであるように、私も複雑な存在なので、自分のある面が何によって決定づけられているのかは一言では説明できません。この連載は「私のおしゃべりな脳みそが見た世界」について綴っていますが、それがすなわち「発達障害者の世界」ではないということを、どうか念頭においてお読みください。  疳(かん)の虫というのがどこにいるのか知らないけれど、幼い頃、圧のかかった静電気のようなものが常に体内にわだかまって、尾てい骨から背骨にかけて抑えがたいムズムズした感覚が走ることがありました。とても不快で、こいつに襲われると他のことが手につきません。そんな時はひそかに、足の指をぎゅっと折って肛門に力を入れ、身震いして、上方に向かってムズムズを抜いていました。  例えばLEGOブロックが上手にくっつかないとか、母親の言うことに納得がいかないとか、何かがうまくいかないときには、そのムズムズが一層強くなって、じっとしていられなくなります。ですから腹の立つことがあると、地面を踏みつけたりものを蹴ったりして、怒りのエネルギーを発散していました。傍目(はため)には奇異に見えたと思います。怒りを感じると足をくねくねとさせて、体をよじり、絞り出すような声を上げるのですから。  こうした疳の強さは、生来の気質もあると思うのですが、生育環境が比較的抑圧を感じやすい家庭であったことも影響しているかもしれません。

高齢出産、決死の覚悟で分娩に臨んだ母

 私が生まれ育ったのは、いわゆるモーレツサラリーマンと専業主婦の核家族でした。生まれた経緯について、母が語ってくれたストーリーはこうです。オーストラリアに転勤して1年ほどが経ったある日、母は買い物に行き、ショーウィンドーのベビー服を見てどうしても赤ちゃんが欲しくなりました。どうか赤ちゃんを授けてくださいと毎日念じていたら、見事妊娠。しかし35歳での高齢出産は当時は珍しく、危険だから子どもは諦めるようにと医師に堕胎を勧められます。  母は強固に反対し、決死の覚悟で分娩に臨みます。案の定、数日がかりの大変な難産となり、薄れゆく意識の中で「アイウォントブラッド」と医師に輸血を頼んで、なんとか娘を産むことができたのです。  これは母にとっては、自分がいかに娘を愛しているかを示す物語でした。つまり「妊娠するのも妊娠を継続するのも分娩も全て、私の産みたいという強い意志があったから成し遂げられたことだ。私が望まなければ、あなたはこの世に誕生することができなかった」という“愛”のメッセージです。繰り返し聞かされた私は、子どもながら母に大恩を感じていました。自分は母の願いによってこの世に発生し、母の抵抗によって救済され、母の命がけの努力により外界に出てくることができた、つまりは純度100%の母の意志の産物だと。  そんなわけで、母娘の関係は非常に濃密なものでした。私は母に強烈に依存しながら、常に母からの侵襲に怯(おび)え、強い嫌悪も感じていました。同時に母親の全幸福に対する責任を負っているのだという意識もありました。自分は母の幸福の主人であると考えていたのです。  ですから、9歳年上の姉をライバルと思ったことはありませんでした。母のストーリーには姉も父も出てきませんでしたから、母が愛しているのは自分だけだと確信していたのです。そして、母の幸せを左右する力があるのは自分だけだとも思っていました。  私と母は、互いの奴隷であり領主であったのです。支配と非支配が複雑に絡み合い、胸の中ではいつも非力な奴隷と傲慢な領主が喚き声を上げていました。「私を解放しろ!」「私の言うことを聞け!」と。いっぺんに出てきて叫ぶものだから、いったい母が憎いのか好きなのか分からなくなって混乱しました。  この戦争のような母子関係の煽(あお)りを食ったのは姉です。異国の地で現地の子どもたちの中に放り込まれた上に、手のかかる妹が生まれて母の関心はすっかりそちらに移ってしまったのですから、さぞ心細かったでしょう。姉もまた、妹に対してアンビバレントな感情を抱いていたのではないかと思います。  それまで一人っ子として育ってきた9歳の女の子にとって、妹は自分の立場を脅かす存在であり、ときには世話をして守ってやらねばならない存在でした。赤ん坊だった私を姉がどんな目で見つめ、どんなふうに世話をしたのかは、もちろん私の記憶にはありません。それは姉だけが知っていることです。その後も、私は姉からの攻撃と愛玩に翻弄されることになります。

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