フリーアナウンサーからパラレルワーカーに 複数の仕事に携わる働き方を選んだ理由
2018年に副業・兼業が解禁されて以来、多様な働き方が広がっている。1つの仕事に依存せず、複数のキャリアを同時並行で進めていく「パラレルワーク」もそのひとつだ。 今回、そんなパラレルワークを実践する高田桃衣さんに話を聞いた。自らを「令和のパラレルワーカー」と称している彼女は、広報とフリーアナウンサー、話し方講師、マーケティング支援と4つの仕事を軸に精力的に活動している。パラレルワークという働き方は一体どのようなもので、高田さんはなぜその働き方を選択したのだろうか。 【写真】はとバスイメージガールとして3年間、PR活動に携わった
きっかけはコロナ禍。オンリーワンを目指してパラレルワーカーに転身
現在、モニター調査やインターネットリサーチなどのサービスを提供する会社、ROI(アールオーアイ)で正社員の広報として働いている高田さん。そのキャリアは異色だ。 大学卒業後は企業に就職せず、「第4代はとバスイメージガール」に就任。パンフレットのモデルやイベントMCなど、はとバスのPR活動に3年間携わった後、アナウンサー事務所に所属してフリーアナウンサーとしてのキャリアを築いてきた。 バラエティ番組や地方局の情報番組でのレポーター、CS専門チャンネルでのキャスターなどを5年ほど経験した後、高田さんに大きな転機が訪れる。新型コロナウイルス感染症の影響で、仕事のほとんどがキャンセルや中止になってしまったのだ。 不本意ながら生まれた自由な時間。高田さんはその中で冷静に今後のキャリアを見つめ直し、アナウンサーの仕事に昔ほど情熱が注げなくなっている自分に気がついた。 「さまざまな番組でキャスターなどを経験して、夢だった冠コーナーも持つことができたので、アナウンサーとして『ある程度やりたいことは実現できた』と思えたんです。多くのアナウンサーが目指す地上波番組のレギュラー獲得も、ライバルに勝ち抜いてまで目指そうとは思えなくなっていました」 自分の気持ちに気がつき、フリーアナウンサー1本での勝負をやめることに決めた高田さん。競争の激しい世界に身を置いていたこともあり、今後のキャリアは競争の発生しない「オンリーワン」を目指す戦略を取ることに決めた。 「アナウンサー事務所を辞めると決めてから、この先はさらに社会的に意義のあること、自分にしかできないことをやろうと思いました。そこで出てきた答えが『パラレルワーカー』でした」