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クラブ最強は読売かヴェルディか?与那城の衝撃と幻のアモローゾ。

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 時代の異なるチームの比較は、所詮想像の産物だ。また脳裏に深く刻み込まれるのは、俯瞰したシーズンよりは刹那的なパフォーマンスなのだと思う。 【秘蔵写真】ヤンチャそうな藤枝東の長谷部、韮崎の中田英、桐光・俊輔、イケメン市船・増嶋&北嶋、半端ない大迫、平山、乾……高校サッカー伝説の45人!  Jリーグ草創期に連覇を遂げたヴェルディ川崎は、成熟したプロフェッショナルによる軌道修正能力が際立った。改革を掲げた松木安太郎監督に対し、しっかりと自立した選手たちが現実的に折り合いをつけていった。堅固な守備で相手に隙を与えず、ラモス瑠偉、ビスマルクらの仕上げの妙や、カズ(三浦知良)や武田修宏の決定力が違いを生み出した。  それはプロの先駆者としての集大成ではあった。ただしそれがクラブの「最盛期」だったのかと言えば、見解は絞り切れない。

ジョージ与那城というレジェンドの存在。

 例えば北澤豪は「ジョージ与那城さんたちが活躍していた頃の方が、自在にリズムを変えて相手を吸収してしまうような凄さがあったかもしれない」と語るし、監督としてプロの時代を迎えた松木安太郎も「ドイツからルディ・グーテンドルフを監督に迎えた頃(1984年)は、僕もキャプテンとして年齢的にも絶好調。両SBも積極的に攻め上がり、日本代表にも勝つなどモダンな試合をしていた」と懐かしむ。  実際プロの時代が「読売(現東京ヴェルディ)と日産(現横浜F・マリノス)の2強が引っ張る形」(武田)で到来したとすれば、やはりアマチュア末期から続いた「日本のクラシコ」の極端な傾きは見過ごせない。1986年に清水東高校を卒業して入団した武田が振り返る。 「ルーキーで最初の日産戦(国立)に出場して2-0で勝ったんですが、それからJリーグ最初の年までまったく勝てなかった。連敗にピリオドを打つ延長Vゴールを決めた(1993年11月10日、同じ国立)時は、嬉しさよりもホッとしました」

クラブの色を1人で決定づけた。

 1986年は、クラブにとって大きな節目だった。MFで好守の要として活躍してきた与那城と小見幸隆が引退。翌1987年3月に、それまで負けていなかった日産に初勝利を献上すると、そこが引き分けを挟む15連敗の出発点となった。  与那城はクラブの色を決定づけた選手で、一方小見はユースチームの一期生だった。  小見は与那城が来た時の衝撃を鮮明に覚えている。 「プレーを見た瞬間に、これは違うぞ、と思いました。目が合っていないのに、こんなの見たことがないというスルーパスが出てくる。本物のノールックでした」  JSL(日本サッカーリーグ)初優勝時に監督を務めた千葉進(故人)などは、ショックを通り超して落胆してしまった。 「年齢も一緒で今までサッカーに費やした時間はオレの方が多いかもしれない。よく走ったし、厳しい練習にも耐えて来たのに……。もうサッカーやめたくなったよ」  因みに与那城は、サンパウロの日系人リーグで趣味でプレーしていた選手だったが、コーチ転身後のプレーを見たビスマルクが「こんな上手い日本人は見たことがない」と目を丸くしたという。

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