瀧川照子さん(長野県塩尻市出身)死去 命や家族描いた日本画家
命や家族を題材に多くの作品を描いた、長野県塩尻市出身の日本画家・瀧川照子さん=東京都=が11月23日、大腸がんのため亡くなった。93歳だった。48年間にわたって日展への出品を貫くなど画業一筋の生涯を送り、文化あふれる郷土への願いから、県内各地の公共施設や学校、企業などに大作を寄贈した。故人の遺志で葬儀は行わずに献体し、7日に近親者でお別れの会を行った。 昭和6(1931)年、同市大門生まれ。松本高等女学校(現松本蟻ケ崎高校)、長野師範学校(現信州大学)を卒業して教職に就いたが、画業の夢を追って42年に上京。後の文化勲章画家・橋本明治に師事し、43年に日展に初入選した。以後、平成27(2015)年まで出品し、特選受賞のほか会友や準会員に名を連ねた。 当初、男性中心の中央画壇は「順風満帆なことばかりでなく辛苦も絶えなかった」。それでも命あるものの喜びや慈しみを表したいと筆を握り「家族」「樹魂」「産土神(うぶすな)」など、深い愛情や命のたくましさにあふれた作品を描き続けた。 大作の制作から一線を退いた平成29年、集大成の個展を市民タイムス塩尻ホールで開き、展示作品を閉幕後に市に寄贈した。令和元年には市制60周年の市民タイムスの取材に「文化あふれる郷土であってほしいと遺言のように思う。後に続く世代が多くの文化芸術に触れ、豊かに育まれるように」と語っていた。 作品のモデルを務めた松本第一高校教頭でおいの瀧川哲朗さん(57)は「人に優しく自分に厳しく、華美なものに脇目も振らず絵に専念した人だった」、教え子の長尾正公さん(79)=塩尻市=は「文化や教育との向き合い方を教えてくださった。凜とした素晴らしい先生だった」としのんだ。百瀬敬塩尻市長やレザンホールの赤津光晴館長も「芸術文化の振興に多大な貢献をいただいた」「今後も作品を大切にしたい」と追悼した。
市民タイムス