日本の「お家芸」4×100mリレー。世界を驚かせたリオ五輪の舞台裏
「ボルト選手に抜かれる時、バトンを当てて少しバランスを崩してしまったけれど、今までで一番短く感じた100mでした。後半は離されたが、ゴールしてからは『やったー!』という感じで。これまで(の走り)で最高でした」 こう話すケンブリッジは、ボルトに0秒33突き放されながらも、アジア記録をさらに更新する37秒60でゴールし、レース後にオーバーゾーンで失格となったアメリカにもわずかに先着。100m3位、200m2位のアンドレ・デグラッセが追い上げたカナダも0秒04差で下す、正真正銘の銀メダルだった。 「北京はメダルを狙っていたが、獲れるかどうかは半信半疑の状態で、決勝前夜は誰もメダルとは口にさせない異様な雰囲気だった。でも、リオは全員の『やれる』という気持ちが先行して、『メダルを獲ろう』と口にしていた。狙って獲ったメダルだと思います」(苅部部長) 100mは静止状態からトップスピードにいち早く乗るための筋力が必要だが、リレーの場合はスタンディングの姿勢から加速した状態でバトンを受け取る。その加速走のスピードでは世界のトップクラスに十分対抗できる力を持っていた。わずかな差はあっても、バトンパスでの減速を極力抑えることで補える。そこを追求した結果だ。 苅部部長が「日本には技術があって、バトンパスワークは世界一だと思う。スピードの落ちないバトンパスは日本のお家芸のようにもなってきている。15年間やっているアンダーパスが、世界でも認められてきている」と話す。
北京五輪の銅メダル獲得は、後に続く選手たちに「リレーなら世界でメダルを獲れる」という現実を見せて勇気や夢を芽生えさせた。それが今度は銀メダルで、その先は金。選手たちは東京五輪の目標を「金メダル」と口にできるようになった。 日本チームが記録した37秒60は、ジャマイカとアメリカに次ぐ世界国別歴代3位(当時)。100m9秒台の選手がいないオーダーでこの記録を出したことは、世界を驚愕させるものだった。 だが、金メダル獲得となれば、個人で100m9秒台や200m19秒台を出すことは絶対条件。この4人だけでなく、彼らを追いかける後輩選手たちにとっても、東京五輪までに実現しなければならない最重要課題となった。
折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi