日本の「お家芸」4×100mリレー。世界を驚かせたリオ五輪の舞台裏
PLAYBACK! オリンピック名勝負ーー蘇る記憶 第44回 スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典・オリンピック。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あの時の名シーン、名勝負を振り返ります。 ◆ ◆ ◆ 2016年リオデジャネイロ五輪の閉幕前日、日本を沸かせたのは、陸上男子4×100mリレーの銀メダル獲得だった。 00年シドニー五輪以来、世界大会の決勝の常連になり、08年北京五輪では銅メダルを獲得(*優勝したジャマイカのドーピング違反が2018年に判明し、銀メダルに繰り上げとなった)。その後はメダルにあと一歩のところで足踏みしていたが、リオ五輪ではウサイン・ボルトを擁するジャマイカに次ぐ2位でゴール。実力でもぎ取った銀メダルという、価値ある結果だった。 他の強豪国のような、100m9秒台や200m19秒台がひとりもいないチームでの快挙。背景には、高いレベルでほぼ同等の力を持った選手がそろい、バトン技術を高めたられたことがある。 北京五輪後は朝原宣治の引退や末續(すえつぐ)慎吾の休養、塚原直貴の不調により、ナショナルチームに残ったのは高平慎士だけになった。11年世界選手権は予選敗退の屈辱を味わったが、同時に若い世代が育ち始めていた。 12年ロンドン五輪では、当時20歳の山縣亮太が初出場ながら100m予選で自己新記録を出して準決勝進出。10年世界ジュニア200mを優勝した21歳の飯塚翔太も、個人では予選敗退だったが、4×100mリレーは4走を務めて4位入賞に貢献する走りを見せた。
さらにチームに大きな火をつけたのは、桐生祥秀だった。高校3年だった13年の織田記念予選で、世界ジュニア記録(当時)に並ぶ10秒01を出し、決勝では追い風2.7mの参考記録ながら、山縣を0秒01抑える10秒03で優勝したのだ。 桐生、山縣のふたりがライバル意識を持って高め合う一方で、ロンドン五輪で200mに出場していた高瀬慧(けい)は、14年アジア大会100mで3位になると、15年には100mで10秒09、200mも日本歴代2位の20秒14を出していた。 さらに、09年世界選手権出場の藤光謙司も15年に200mで20秒13をマークし、世界選手権では高瀬とともに準決勝進出。中堅層も伸び、戦力に厚みが出てきていた。 桐生と山縣が10秒0台を連発する中、16年には、ケンブリッジ飛鳥が10秒10まで記録を伸ばし、6月の日本選手権でそのふたりを抑えて優勝。また、飯塚も日本選手権200mで20秒11を出して存在感をアピール。五輪代表6名は20歳の桐生から30歳の藤光まで、100mと200mに3人ずつ送り込むという充実した状況だった。 ところが、リオ五輪の個人成績は100m準決勝で10秒05の自己新を出した山縣以外は納得のいかない結果に終わった。桐生は自分の走りができずに予選落ち。ケンブリッジは予選こそ好調だったが、準決勝は隣のジャスティン・ガトリン(アメリカ)の好スタートに圧倒され最初から最後まで硬い走りとなってタイムを落とした。200mは3選手とも予選敗退だった。