好きだと数を増やそうとしてしまう。服を1000枚捨てたから言えた、父との最期の会話【エディター昼田祥子】
こんにちは、エディターの昼田です。 ひと仕事終えた木曜日、家族で焼き鳥屋に。こう暑いとやっぱり飲みたくなりますよね(笑)。今日も亡くなった父のことを書きます。私の頭のなかで今も鳴り響く、父と最後に交わした言葉のことをーー 【着こなし画像】シンプルなのにこなれてる! 昼田祥子のコーディネート一覧 父は誰に聞いても、どこを切り取っても「優しくていい人」でした。物腰が柔らかく、ときどきチャーミングで、バカを言いながらも誰をも傷つけない人。地域の活動に積極的に参加しようとするのは、私が小さい頃からずっと変わらず。小学生のときには私が所属するフットボールチームの監督をつとめ、高校で私が野球部のマネージャーだったときは、試合を見にきては誰にも頼まれていないのにレポート新聞を作ってしまうような人でした。元編集者の父は、細かいことが得意でサービス精神も多め。親子で共有した思い出も多く、私にとって父は一番の理解者でしたし、気質が似てるんですよ。帰省すれば二人でよくお茶しに行っていました。父はもっぱら聞く専門でしたけどね。 こうやって書いてみて、改めて思った。 父は、人と関わるのがすごく好きだったのだ。 あとで聞いた話ですが、父はボランティアの仕事を押し付けられたわけではなく、自ら立候補していたのだそう。 亡くなる前日。一時退院を許可され、実は絶対安静だったことを家族に知らせず、動き回った父。散髪に行くのは分かるけれど、コピー機を買いに行き、植木屋さんに行き、携帯ショップに行き、近所の人に届けものをしに行き、今度の催しの案内を作り…… ねぇ電話すればよくない? アマゾンでよくない? わざわざ出向く必要ある? 私を苛立たせたのはもう一つ。一ヶ月の入院で父は明らかに能力が後退していました。寝たきり、しかも誰とも話せない個室。そんな環境にいれば衰えるのも仕方ないのかもしれません。認識があやふやで何を聞いても返答までに時間がかかる。”しっかり者だった父”が、わずか一ヶ月で”頼りない父”になってしまっていました。 夕食で思わずぶつけた私の怒り。 「お父さんが今日一日やったこと、無駄なことが多すぎる。病人なんじゃけ、いちいち行かんでええじゃろ?」 場が緊迫したときほど、話し方でムードを変えようとするのが父のやり方。えへへと笑いながら 「お父さんな、こう見えても社交的なんだよ~、みんなと話すのが好きなんじゃ」 病気が悪化しても何一つ手放さなかったボランティアの仕事。好きなのはわかるんですよ。でも、年齢を考えろって話。間髪入れずに言い返していました。 「はぁ? 何言うとるん? そうやって人は好きだと数を広げようとする。私もそうだった。服が好きでいっぱい買って1000枚も溜め込んだ。だけど捨てて、本当は数枚で満足できる自分だったんだってことに気がついた。お父さんだってそうよ、好きだとどんどん広げようとする。でも、本当は7つの仕事がなくても3つくらいでも十分に満足できる自分かもしれんのよ」 「そうか、そんな考えをしたことがなかったな」と父。 今も頭を反芻する父との会話。40代の私は、やりたいことがいっぱいある。好きだとつい数を広げようとしてしまう。もっともっとと思ってしまう。父に言ったセリフは、自分に言いたいことでもあります。広げていいのは何歳までと決めないと。 広げすぎた父、捨てられなかった父は、あのまま服を溜め込んだ私が辿り着く未来の姿だっただろうと思います。 お父さん、見せてくれてありがとう。 私は、これからも捨てられる自分であり続けるよ。
昼田 祥子