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<埼玉西武だより>日本シリーズの経験は強み 豊田清、苦い記憶と経験「経験させたいし勝ってほしい」

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埼玉新聞

 「あの時、日本シリーズで投げた方がいい、と右肘が痛い僕に言ってくれた森(繁和)投手コーチの言葉が印象に残っています」。今年から1軍投手コーチとして復帰した豊田清は、懐かしそうに当時を振り返る。 <埼玉西武だより>魔球・シンカーで9度の優勝に貢献 潮崎哲也、90年代後半の達成感を今の投手陣たちに  1997年、26歳だった豊田はローテーションの中心として、150回を超える投球回で10勝6敗。“東尾政権”初優勝に貢献した。だがシーズンを通し「実はずっと肘の痛みと戦いながら投げていた」。とうとう優勝争いをしていた終盤、右肘は悲鳴を上げて手術を決断。この年、マウンドに戻ることはなかった。  年明けの98年。キャンプは2軍で発泡スチロールを投げ、ゴムチューブを使い、可動域を広げるリハビリをこなす日々だった。シーズンに入っても1軍の試合を見ることはなかった。無我夢中で自分の右肘と向き合い、8月終盤、豊田は1軍のマウンドに戻ってきた。  「肘を気にして慎重に投げました。同点でマウンドを降りた後、ベンチで金村さんが、『(打席の)大成(高木)に気を送れー』って(笑)。そしたら、大成がホームラン。勝ち投手になることができて、うれしかったですね」。豊田が戦線に戻り、チームは首位日本ハムと最大10ゲームあった差をついにひっくり返し、V2を達成した。  そして前年立てなかった日本シリーズのマウンドに抜てきされた。しかし、結果は厳しいものだった。「横浜スタジアムの雰囲気に完全にのまれ…KOでした」。マウンドで足は震えていた。  「僕は投げた試合は必ず映像を見直します。だけど、あの試合だけは見られなかったですね」。ただ時間がたち、その苦い記憶と経験こそ「あの時に比べれば臆することはない」と思えるきっかけとなった。豊田はその後、日本シリーズでは全て救援で登板。ほとんど失点を許していない。  「日本シリーズの経験はやっぱり強みになる。うちの投手たちに経験させたいし、そこで勝ってほしい」。3連覇と日本一のために、ブルペンで目を光らせる。 (埼玉西武ライオンズ広報部・田代裕大)

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