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中条きよし、150万枚大ヒット「うそ」までの下積み時代を語る「売れると思わなかった」

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ニッポン放送

歌手で俳優の中条きよしが、7月13日(月)放送のニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」内のコーナー「ゲストとハッピー!」に生出演し。下積み時代のエピソードを語った。

中条は1974年に歌謡曲「うそ」が150万枚を超える大ヒットを記録してから、1981年に時代劇必殺シリーズ『新・必殺仕事人』三味線屋の勇次役でレギュラー出演すると、役者としても人気を博した。デビューソング「うそ」がいきなりの大ヒットを記録した中条だが、「それまでは、全く売れると思わなかった」のだという。 中条:この世界に入った頃は、しばらく大阪のステージで活動していて。そこで1年ぐらい歌を歌ったりしていたんですが、「このままここでやっていてもしょうがない」ということで、トランクケースを2つ持って、東京にやってきたんです。 垣花正アナ:大阪から歌手としてデビューするために上京したんですね。 中条:当時は誰も知り合いもいなくて、人通りの少ない、安い家賃のアパートを借りて生活していました。当時は、スナックで働いていました。その店にたまたま来ていたお客さんの方に作曲家の先生がいて。そこから色々な作曲家の方を紹介してもらったんです。 垣花:デビューのきっかけはなんだったんですか? 中条:そこで、作曲家の米山正夫先生を紹介してもらったんです。当初は「デビューに5年ぐらいかかるかもしれない」と言われていたんですが、2ヶ月後にレコード会社にオーディションに行って、すぐに合格してデビューしたんです。 垣花:トントン拍子でデビューしたんですね。

中条:でも、レコードを2枚ぐらい出したんですが、全く売れなかった。それからは歌を出さずにスナックで働いていたんですが、3、4年後に、米山先生から「もう一回デビューしないか?」って誘われたんです。 垣花:再び、レコード会社にオーディションに行ったんですか? 中条:次は、違うレコード会社に行って、またすぐに合格しました。 垣花:「今度こそ売れるぞ」と。 中条:でも、それも売れなかった。その時にはもう、赤坂でお店を出していたので、歌手としてのやる気は全くなかったんです。そしたらお客さんから「オーディション番組の『全日本歌謡選手権』に出てみない?」って言われて、「お店の宣伝になれば…」ぐらいの軽い気持ちで出たら、10週勝ち抜いてグランドチャンピオンになって。運が良かったですね。 そのオーディション番組で実力を認められた中条は、番組の審査員だった山口洋子が作詞、平尾昌晃が作曲した「うそ」で3度目のデビュー。150万枚を超える大ヒットを記録した。中条は「あの頃、米山さんに何度もオーディションに誘ってもらえなかったら、とっくに歌手は辞めていた。ずっと続けられたのは米山さんのおかげですね。」と、感謝の言葉を述べた。

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