コロナ禍で開催中止の危機を乗り越えたALLDAY。15年の歴史において構築した大会の意義をキーパーソンに聞く
代々木公園にコートが寄贈されたことから始まった
さかのぼること2005年2月。NIKEジャパンが代々木公園へ2面のバスケットボールコートを寄贈した。それをきっかけに開催されたのが『ALLDAY -5ON5 TOURNAMENT-』(以下ALLDAY)である。今では国内最高峰のストリートボールトーナメントに成長、年齢、国籍、キャリア、性別を問わないオープンな大会として、現在Bリーグで活躍する選手や関係者がコートに立ったことでも知られている。 3x3男子日本代表、第1次強化合宿メンバーを発表…16名が候補選手に選出 今年、新型コロナ禍の中、開催が危ぶまれたALLDAYだが、会場を移してその歴史を紡ぐことができた。長い歴史の中でこの大会が日本のバスケシーンに何をもたらせたのか、さらに開催の意義をキーパーソンへ取材することでひもといていきたい。 キーパーソンの一人、大会運営チームでプロデューサーを務める秋葉直之氏曰く、「NIKE、ボーラー、NPOの3者の必然で生まれたのがALLDAY」だという。大会が始まった当時、秋葉氏はNIKEジャパンに勤めており、コートの寄贈に携わった。社内では「これを打ち上げ花火で終わらせたくない。これをきっかけにグラスルーツの大会もあったほうがいい」と話があがったと振り返る。 またボーラーたちは「(当時、目指す大会が少なく)ニューヨークで継続的に行われるストリートの大会のように試合をする場に対して飢えがあった」という。加えて同氏も関わりALLDAYを主催、コートを管理したNPO法人KOMPOSITIONにとっては、「コートが自治されるようになってほしかったんです。ジョーダンコート(※1)では住民の方とゴミや騒音などクレームに向き合うことがありました。管理ではなく、コミュニティーの必要性を感じていました」と明かす。その理由に「コミュニティーができることで、そこに帰属意識が生まれます。どんなチャラチャラした子でも、近所でお世話になったおじちゃんの家の前にゴミを捨てることはないと思います。良心の呵責もあるでしょう。コートには帰属意識が必要で、それが一番分かりやすいのが大会でした」と、秋葉氏は話す。それぞれの願いが重なった末に、寄贈から半年後、第1回大会を開かれた。 それから今年で15年目。初回の8チームから、今では50チームのビックトーナメントに成長した。これだけ続いてきた大会だ。きっとコロナ禍の中で開催にこぎつけたことに感慨深い気持ちがあると想像したが、運営チームにとって、ALLDAYは代々木を聖地にしようと始めた大会であり、ボーラーのために開く大会という気持ちが根底にあった。