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23区有数の閑散駅「北区・尾久」4年で利用客115%増の理由

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どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。今回取り上げるのは、JR東北本線の「尾久」。

駅の南側に広がる車両基地を抜けると、また車両基地!?

「尾久」は東京都北区に位置する、JR東北本線の駅です。1日の乗車数は1万人強。利用客の少なさでは、東京都23区内のJR駅のなかでも3本の指に入ります。 駅があるのは北区昭和町。駅名の読み方は「おく」ですが、駅北東の地名、荒川区東尾久、西尾久の読みは「おぐ」です。 尾久の由来は、鎌倉幕府の歴史をつづった『吾妻鏡』内の記述が有力です。同書に「武蔵国豊嶋庄犬食名」と記されていますが、この「犬食」は「大食(おおぐい)」の書き間違いで、それが「おぐ」になったという説があります。 武蔵国にあった豊島郡の“奥”、江戸の北限である隅田川を背にしているから江戸の“奥”など、ほかにも諸説あります。室町時代、太田道灌が江戸城を築いたころに書かれた『長禄江戸図』に「尾久」の地名が出てくることからも、古くからある地名であることには間違いありません。 江戸時代までは郊外の農村地域でしたが、明治から大正にかけて工場が進出。一方でラジウム鉱泉が湧いたことで花街としても発展しました。しかし戦後、温泉が枯渇すると、その賑わいも消滅してしまいます。 慣習的に「おぐ」と呼ばれていた尾久ですが、1929年に駅が開業することで混乱を招きます。駅ができたのは、前出の通り北区昭和町であって、荒川地域ではありませんでした。しかし花街として賑わっていたエリアに人を呼び込もうと、駅名を「尾久」としました。 当時の鉄道省は「おく」と命名しました。駅の読みが「おぐ」ではなかったのは、「尾久の地名は、豊島郡の奥、江戸の奥から訛って『おぐ』になったのだから、正式には『おく』である」と鉄道省が考えたから、といわれています。 駅の出入り口は1箇所。駅北側には明治通りが走り、多くの車が行き交っています。「尾久」は23区のJR駅のなかでも有数の閑散駅ですが、そんな雰囲気はあまり感じません。 一方で、駅南側は見渡す限り線路が広がる「尾久車両センター」。南北2,200m、東西250mの車両基地で、それを横断する地下道をくぐると、閑静な住宅街が広がっています。さらに住宅街を進むと、新幹線の車両基地である「東京新幹線車両センター」があり、奥の高架線を東北・上越・北陸新幹線が走ります。奥には京浜東北線などの電車が行き交う線路があり、京浜東北線「上中里」駅があります。 車両基地が広がっているため、駅南側に居住地はほとんどありません。また都電荒川線「梶原」「荒川車庫」「荒川遊園地前」「小台」は徒歩10分前後、京浜東北線「上中里」は徒歩15分、JR山手線「田端」は徒歩18分と、周辺に多くの駅があり、利用者が分散しています。「尾久」の利用者は駅北側の限られた住民に限られているため、閑散駅になってしまったのです。

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