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「死んでくれ。私も死にたい」涙あふれ…元工藤会系組員、離脱決意した母の手紙

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西日本新聞

  福岡県警が特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)の「壊滅作戦」に着手してから、11日で6年を迎える。壊滅作戦後に系列の組員を辞めた県内の40代男性が取材に応じ、「組のためなら殺人以外は何でもやろうと思っていた」という組員時代や、弱体化していった組織の姿を赤裸々に語った。今は、母を悲しませたことを悔い、民間会社で働いている。 【写真】撤去された工藤会の「象徴」  男性は若いころに服役したことがきっかけで組員と懇意になり、組に入った。主な「しのぎ」(資金獲得活動)は覚醒剤の密売。暴力団の世界では表向きは「覚醒剤はご法度」だが、実際は「目をつぶっている親分が多かった」という。  多いときは月に約200万円を稼ぎ、組には毎月20万円を上納した。高級車を年に4台買い替えた。「工藤会は一枚岩で警察とも対峙(たいじ)していた。刑務所では、工藤会系組員というだけで受刑者から恐れられた」  殺人罪などに問われ公判中の同会トップで総裁の野村悟被告(73)からは「頑張りよるか」と声を掛けられたことがある。ただ、「雲の上の存在」でめったに姿を見ることはなかった。  「総裁がきょう持っていかれるぞ」。6年前の9月11日、別の組員から電話を受けた。テレビを見ると、野村被告が連行されていた。当初は「どうせ証拠不足で不起訴になる」と考えていたが、被告は市民を襲撃した四つの事件で次々に起訴された。「警察も検察も本気だ」。組織内の空気は変わっていった。  建設業者などは「警察がうるさいので」と離れていった。組長たちは「金が続かん」と不安を口にした。組の解散が相次いだ。男性が知るだけで、3人の組員が自殺したという。  男性はその後、別の事件で服役。刑務所に60代の母から手紙が届いた。「あんたみたいなのがいると家族が生活していけない。顔も見たくない。死んでくれ。私も死にたい」。約20年ぶりに接した母の言葉。「でも、腹を痛めて産んだ子だから、憎いけどかわいい」とも書かれていた。  「見捨てられていなかったんだ」。涙があふれ、組を辞める心を決めた。  組織離脱を相談した県警の支援を受け、就職先が見つかった。「本当に足を洗ったのか」と疑う親族もいるが、「一生懸命働く姿を見せるしかない」と思う。母は「早く孫が見たい。長生きするけん」と口にするようになった。  野村被告の裁判は続いているが、今は働き、生きることに必死。工藤会への関心は失った。組織に残る現役の組員たちには「辞めればきっと良い人生になる。自分の将来を考えてほしい」。こう言葉を強くする。

西日本新聞

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